新歩道橋1123回

2022年4月10日更新



〝旅役者見習い〟を自称している。縁あって大衆演劇界の雄・沢竜二の全国座長大会にレギュラー出演しての身分。〝旅役者〟〝ドサ役者〟を誇称する沢のひそみに習ってのことだ。
 3月27日午後の池袋、シアターKASSAIの舞台で、
 「親分大変だ! 親分…、じゃなかった、大変だよ沢さん!」
 やくざの代貸姿の僕が、下手そでから飛び込む。中央には国定忠治の赤城山の場の沢が居て、
 「何だ? 何だ? どうした」
 になる。その耳許へ、
 「川中さんがさ、川中美幸さんが見に来てるんですよ! おしのびで…」
 と報告するから、場内の客までが一斉に「えっ?」になった。
 催しは沢竜二プロデュース「春の若手時代劇まつり」の千秋楽。会場もこじんまりした実験劇場タイプで、パイプ椅子を並べてふだんは50から70席と言う。それをコロナ禍対応で飛び飛びにしたから、30人前後の客相手に膝づめ芝居だ。その一隅からつば広帽子の川中が立ち上がり、笑顔で手を振る。少人数でもちゃんとどよめく客席へ、
 「握手を求めたりしちゃダメだよ。こんな時期だからね…」
 と、沢が大喜びのファンに注意をする。
 実はその前日の26日夜、渋谷の川中のお好み焼きの店で、亡くなった放送作家あかぎてるやを偲ぶ会が開かれていた。沢は芝居づくりや歌づくりでごく親しくつき合った仲だから、公演を中抜けして参加、池袋―渋谷をとんぼ帰りした。舞台化粧のままだったのを見て、川中は「よし、見に行こう!」と決めたらしい。もともと「あれが原点」と言うくらいの大衆演劇好きの人なのだ。僕は彼女から声をかけて貰って、70才で明治座が初舞台。以後一座のレギュラー出演者だから、この日は2人の大座長との縁にはさまれる光栄に浴したかっこうになった。
 公演初日には、友人の歌手新田晃也が弟子の春奈かおりと現れた。差し入れは例によって心づくしの「空也」のもなか。新田は演歌系シンガーソングライターのベテランだが、呼び捨てのつき合いが長く、当然春奈もお前呼ばわり。ところが今公演メインの若手座長若奈鈴之助が、彼女に直立不動になったから驚いた。聞けば彼は春奈の母親の弟子だったそうな。そういえば春奈からは母が座長の〝若奈劇団〟で、3才で初舞台を踏んだ昔話を聞いたことがあった。鈴之助の現住所は茨城の守谷。僕はその隣町の水海道一高の出だと、奇縁に話が飛び、彼がそれ以前は長く会津若松に住んだことを聞き流した。彼の師匠率いる若奈劇団は千葉・白浜で旗揚げしたあと、会津で常打ち活動をした件に、思いいたらぬ迂闊さがあった。
 今回一緒になった若手座長は鈴之助に愛望美、副座長が若奈葵、愛美萌恵らで、九州の名門梅田英太郎と沢一門の木内竜喜はベテラン座長。それに沢公演おなじみの岡本茉利が傍を固める5日間6公演。芝居が「上州悲恋地獄」「夫婦酒」「三日の娑婆」と日替わりの3本で、僕は大工の熊さんややくざの代貸などでチョロチョロした。
 二部はおなじみの舞踊ショー。座長大会でベテランたちの出番もずいぶん見学したが、今回、初めて見て感じ入ったのは梅田英太郎の〝眼芝居〟だった。ワルの上州屋茂五郎役は恐いくらいの眼力に凄みを利かせたが、女形で舞う「細雪」はその眼が哀恋のきわみを漂わせ、まばたきまでがしっかり芝居する。それを生かすためか、眉は細く薄めの仕立て方に見えた。
 この人、別の日には「さざんかの宿」も踊ったが、歌は五木ひろしバージョン。鈴之助は小林幸子の「おもいで酒」を踊ったが、よく聞けば歌は坂本冬美である。岡本茉利は懐かしい「東京アンナ」を踊ったが、歌っているのは大津美子ではなく美空ひばりと、それぞれのこだわりが見え隠れする。舞台でしきりに謝っていたのが鈴之助で、川中が来ているとは知らず「ちょうちんの花」を踊ってのひと場面。この曲、川中が公演ごとに必ず歌うお気に入りだから彼女は上きげんで、それほど恐縮するまではなかった。
 沢は3本の芝居の潤色、演出のみで出番はなし。若手を育てたい一心のプロデュースのせいだが、第二部では「銀座のトンビ~あと何年・ワッショイ」「無法松の一生」新しくCDを出した「人生はうたかたの夢」を、まだ若々しい声で聞かせた。
 それやこれやを舞台そでで取材!? もした僕は、若奈鈴々音、若奈鈴、空馬大倫ら美女や美青年に介護され加減の日々。何しろ令和2年2月の川中美幸明治座公演「フジヤマ〝夢の湯〟物語」以来2年1カ月ぶりの舞台である。
 「好きなんだよな、あんたも」
 と沢は笑うが、何はともあれ嬉しくてたまらない陽春になった。