新歩道橋1124回

2022年4月24日更新



 《「カップリングソング・ライター」って呼べる作曲家も居るんだ…》
 4月8日夜、赤坂のMZES TOKYOで田尾将実のライブを見てそう思った。メインの曲は歌い手のキャラや制作者の狙いなど、いろんな条件と制約がある。曲づくりはそれに添って万全を期す。しかしカップリング曲は、書き手の裁量に任されることが多いから、田尾はその自由さを存分にして来たらしいのだ。
 「夜のピアス」「彼岸花の咲く頃」「泣かせたいひと」「再会」「冬椿」「あなたのとなりには」など、どれがそのケースかは判らないが、なじみの薄い曲が並んだ。
 〽男なんてまるでピアス、いつの間にか失うだけ、男なんて夜のピアス、心の穴に飾るだけ…
 冒頭の曲の聞かせどころ。字づらだけでは醒めた女心がシャープなだけで、かわい気がまるでない。しかし、田久保真見のこの詞が、田尾の曲の哀調に乗ると、主人公の喪失感や孤独が切なげに、表に出て来て沁みる。このコンビの美点かも知れない。
 「いい歌になるかどうかは、歌詞次第ですよね」
 田尾は真顔でそう言う。いい曲を書く力量が前提だろうが、彼なりの自信が口調ににじむ。
 「彼岸花の咲く頃」は、
 〽赤い彼岸花逆さに吊るして、線香花火みたいねと無邪気に笑った君…
 に、突然別れを告げられた少年の歌。喫茶店、ルノアールの絵、映画や本の話に明け暮れた少女との日々がみずみずしく、彼岸花の赤までが目に浮かぶ。作詞家のいではくが「ずいぶん昔に書いたものだけど」と、そっと差し出したというのもいい話だ。
 いい詞に出会うと田尾は動く。円香乃の「別れの朝に」の時は、お台場を歩き回ったらしい。女主人公は男のYシャツをいつもの引き出しに収め、念のため目覚まし時計もかけておく。彼の留守の夜は、灯りをつけたままで帰る。窓の灯りにほっと一息つけるだろう。部屋にはカトレヤの花を飾った。いつかこの部屋に、穏やかな幸せが訪れることを祈って。そんな別れの日を彼女は、
 〽あなたのために出来ることは、私にはもう何もない…
 と結ぶ。田尾はこの主人公の優しすぎるほどの心根に、作者円のそれを重ねて感じ入るのだ。この日ゲストで歌ったチェウニの「駅」は高畠じゅん子の詞だが、これを持って田尾は、なぜかシンガポールまで出かけている。
 今回のライブは昨年やるはずがコロナ禍で延びた。たまたま毎日新聞の川崎浩氏が、歌う作曲家のライブのシリーズを企画、田尾にも声を掛けた。発端は遊び心だが、受けた田尾は一大決心をする。ヤマハのポプコン入賞を機に音楽生活が50年、年も70才で、節目の年。初めてのライブだから音楽関係者に見てもらおうと、その席決めまでする念の入れ方。キャパ40の会場なのに腕利きのミュージシャン5人をバックに、本格的なスケールの舞台にして、熱い血のおもむくままだ。
 田尾と僕の親交は25年ほど。作曲家協会が主催したソングコンテストの審査の座長を僕が手伝い、彼は平成10年に石川さゆり用の「キリキリしゃん」翌年に五木ひろし用の「京都恋歌」でグランプリを連覇した。しかし業界の待遇は依然変わらないと言うので、その前後の受賞者花岡優平、藤竜之介、山田ゆうすけに作詞の峰崎林二郎らを加えて「グウの会」を作った。酒盛りもやるが、同じ詞にみんなで曲をつける腕比べなどをやって、彼らの背中を押す算段。「愚直に行こう!」の意の「グウ」である。このコンテストは作曲家三木たかしが主導した。田尾が彼に、
 「ヒット曲が沢山あっていいですね」
 と言ったら、三木は
 「それよりも、捨てた曲の数では誰にも負けないよ」
 と答えたという。田尾は以後その言葉を自分の指針として来た。
 下関・豊浦町の漁師の網元の息子である。激しい気性を裡に秘めた直情径行型でストイック、作る曲も一途で妙に粘りけが強かった。しかし最近の作風はそんな粘着力を削ぎ落とし、いい哀愁メロディーにいい詞、ポップス系フィーリングと心地よいリズム感で、ライブの成果は「22年型正調歌謡曲」と呼んでもいい充実ぶりを示した。
 張り切りすぎて後半、声が嗄れた。本人は大いに反省したが、その弱さを補おうとする懸命の歌唱がこれまた一途で、かえって人間味を濃くした。やはり田久保との「東京タワー」をアンコールに据えた。東京へ出て来た当時の夢や失ったもののあれこれを、2人がこの曲に託した気配があった。昭和31年はたち前に上京してしばらく、似た思いで東京タワーを見上げた僕も、往時を思い返して鼻先がツンとなったりした。