新歩道橋1125回

2022年5月15日更新


 

 カラオケ雑誌で歌詞を先に読んだ。朝花美穂の「しゃくなげ峠」だが、もず唱平ならではの世界、ドラマ設定も情感表現の確かさも、久しぶりにいい仕事をしている。
 《それにしてもおかしいな。なぜか出来たぞ! の報せがない―》
 新曲が出るごとに、どや顔のCDが届く相手なのだ。長いつき合いだからこちらも、その都度どこかに感想を書く。それが今回は…。
 会いたい! と、性急に月島の店「むかい」へ現れた。作曲した宮下健治、歌った朝花に担当ディレクター、所属プロダクション社長と5人連れ。浅草のレコード店でお披露目歌唱をやった後とかで、やたらに気合いが入っている。当方は当日朝、一応CDは聞いて出かけた。だから「ン?」になる。初対面の朝花は鳥取・米子出身の23才。歌の感触よりも少々若くて、この業界5年生とか。
 実はこの人の、歌いだしの得も言われぬ〝けだるさ〟にゾクッと来ていた。主人公の遊女ははたちだが、
 〽故郷はどこだと問う…男に、
 〽無いのと一緒と答える女…なのだ。おそらくは世の辛酸をあらかたなめたろうタイプ。それを自分が居たところと語る
 〽山裾の紅い燈、指差す憂い顔…
 の歌い出しの1行分で、朝花は作品の色も中身も決めていた。
 ベテラン歌手が持つ生活感…と勘違いしていたが、どうやらこれは宮下の演出。4小節に2ヤマ、やるせなげなメロディーをうねらせて、朝花の息づかいを決めた。演歌は歌い出し2行分の歌詞で決まると、古くから言われて来たが、メロディー4小節、歌詞1行分でもこんなに〝決まる〟ことを再発見する。
 宮下は元歌手、シングルを15枚出した経験を持つ。そのころ身につけたろう昭和30年代から40年代の演歌のエッセンスに、昨今のはやりすたり、書きたいものへの熱意などが加わると、こういう曲になるのか。その〝けだるさ〟はほどが良い。古いタイプの演歌はシナを作るのが詠嘆の技だが、朝花にはそれがない。シナを作れば歌が嘘になるレッスンを、宮下はこの娘に重ねて来たのだろう。
 ビールで多弁になるもず唱平の隣りで、一生分の酒はもう飲んだからと、素面の宮下は、
 「詞に惚れ込みました」
 と、ボソリと言った。
 〽死出の旅路を厭わぬ男、心を任せて紅差す女…
 道行を止めるのは声を限りに啼く蜩、二人が立ち尽くす峠に咲くしゃくなげは、白か淡い紅色、初夏の光景が絵に描いたようだ。師匠の惚れ方が愛弟子に伝染する。「遊女」「道行」は近ごろでは死語に近いが、そこまで思い詰める愛の形を、朝花は、
 「古典文学みたいに感じた」
 と言う。厚みのある声が表と裏の境目のない利点を持ち、こぶしも適度、歌う語尾にゆとりまでにじむ。大衆演劇が好きという芝居心が、芸の芯にありそうな歌唱だ。
 もずは自称「未組織労働者の哀歓」の書き手である。理屈っぽさが癖の彼らしい言い回しだが、要は社会の底辺に生きる人々の、けなげさや一途さを描くのが長年のテーマ。デビュー作の「釜ヶ崎人情」や出世作の「花街の母」で一目瞭然だろう。前回会ったのは大阪で2年前くらいになるか、行きつけの居酒屋「久六」で、もずが
 「マーケットリサーチをすれば…」
 などとグズグズ言うのにいらだって、
 「誰が何を欲しがるかなんて、ほっとけよ。もずはもずの書きたいものを書けばいいんだ!」
 と、僕は酔いに任せて言い募った記憶がある。そんな思いが冒頭に書いた「良いじゃないか!」につながった。そのうえに、宮下の曲、朝花の才能に出っくわしている。めぐり合わせの妙で久々に三拍子揃った仕事である。今作はひょっとすると彼の代表作の一つに育つかも知れない。
 そんな当方の思い込みをよそに、もずがその夜力説したのは、沖縄音楽と日本のそれの接点の新しい発見。古賀政男が出て来たり船村徹が出て来たりで、相変わらずの論客ぶりだが、ま、あの年になってまた、新しいテーマを見つけたのなら、ご同慶のいたりとしようか。それやこれやを抱えて、もず唱平は沖縄からやって来る。寒いうちだけ…という生活が、どうやらあちらに根がおりそうだ。
 「大阪から来るんと、違いはないんですわ、2時間半ちょいで…」
 新幹線と飛行機をそう計算して、事務所も那覇に構えたらしく、
 「一度遊びにおいで下さい。5匹の猫がお出迎えします」
 秘書の保田ゆうこや歌手の高橋樺子らが、癒され加減にそんなことを言っている。