新歩道橋1129回

2022年7月7日更新



 観客に「え~ッ」とか「わあ~」とか「マジか!」とか思わせたい。そう驚かせたいのが作・演出の堤泰之の意図だとすれば、氷川きよしは〝待ってました〟とばかりに共鳴、すっかり〝その気〟の舞台を展開しているようだ。彼の特別公演「ケイト・シモンの舞踏会~時間旅行でボンジュール~」だが、6月が東京・明治座、7月が大阪・新歌舞伎座、8月が福岡・博多座、9月が名古屋・御園座と、この夏ぶっ通しの奮闘になる。
 初めての現代劇、それも1700年代のフランス、パリへタイムスリップするアイディアもの。氷川が5役の美男・美女に扮するファッションの動くグラビア的魅力、共演者全員の役名が洋菓子というコミック仕立て、多彩な共演陣が右往左往するにぎやかさと、客をノセるネタが次から次だ。
 「ありのままに生きる姿が美しい」
 とする氷川の昨今は、変身とも孵化とも見えるビジュアルの変化から、デビュー以来の演歌・歌謡曲の世界へ、ポップス、ロック系レパートリーを積み増して拡大中。それも男女の性別を超えた美しさの追求が軸にあるから、何とも刺激的な存在感で、いわば〝氷川きよし第Ⅱ期〟だろう。今回の長期公演は、そんな氷川本体そのものをストレートに劇化していて妙だ。
 彼の大劇場公演は2003年夏の名古屋・中日劇場が最初。「箱根八里の半次郎」や「大井追っかけ音次郎」のヒットをヒントに演目は「草笛の音次郎」で、演出は映画監督の沢島忠だった。沢島は美空ひばりの映画を数多く演出した人。氷川の歌手デビューに力を尽くした長良プロ先代の長良じゅん社長は彼を〝ひばり男版〟のスターに育てたい考えを持っていた。ひばり本人や沢島とも昵懇の間柄で、戦後の芸能界の実態をつぶさに体験、ビジネスとして来た人だ。
 スター歌手の大劇場公演は、時代劇が主流で、氷川もその後、森の石松、一心太助、め組の辰五郎など、おなじみの主人公をコミカルに演じて来た。時に銭形平次の少年時代という苦肉の演しものも生まれたが、変化の兆しは最近2年続いた「お役者恋之介の珍道中」というオリジナルで、作・演出は池田政之。この辺までが歌手芝居の流れや常識の枠内だったとすれば、今回の演目はその限界を突破したことになろうか?作・演出の堤は大学在学中からミュージカルづくりを始め、多岐にわたる演劇集団と発表の場でオリジナルを上演し続けるベテランと聞いた。
 ブルボン公爵家の執事バームクーヘンを演じるのは氷川が〝師匠〟と呼ぶ常連共演者の曽我廼家寛太郎。それに拾われて使用人の教育係にされる氷川は、大仰なたまねぎ頭に腰の曲がった老婆ふうで、青島幸男の「意地悪ばあさん」イメージの言動が客を湧かせた。ほかに彼が扮するのはマリー・アントワネット、ジャンヌ・ダルク、ルパン、騎士などだが、いずれも〝それぞれ風〟で、歴史上人物とは無関係。ショーの司会でおなじみの西寄ひがしは公爵ブルボン役を貰ったが、なぜか突然肉まんじゅうになって出て来たりする。芝居の幕切れは当然みたいに舞踏会の豪華けんらん―。
 「等身大で演じる面白さ」
 を体験中という氷川は、のびのび楽しげで、確かに自然体に見える。2000年に22才で歌手デビュー、今年23年め、45才になったキャリアと慣れ、それなりの分別もあろうが、何しろごく多彩に限界突破中のエネルギーが彼自身にあるのだから、舞台の熱量も相当に高めだ。従来の時代劇では、彼に〝あて書き〟をした台本でも、役になり切れなかった「やらされ感」が残っていたということだろうか。第二部の「コンサート2022」は新曲の「群青の弦」をはじめ「箱根八里の半次郎」「大井追っかけ音次郎」「白雲の城」などから「きよしのズンドコ節」まで、22年分の財産ソングを一気呵成。アンコールになると「限界突破×サバイバー」ほかのロック系ガンガンの締めである。客席のペンライトも一部、それに反応して細かめのリズムに変わった。
 《なるほどな、客の方も変化、若返っているんだ》
 と僕は納得する。以前は客席びっしりのライトが演歌ノリで一斉に揺れたが、最近はそんな組織立った感じがなく、ライトの数や位置も思い思い。ファン層の若返りがちゃんと垣間見えた。
 僕が明治座公演を見たのは6月23日夜の部で席は正面17列28番を用意してもらった。亡くなった先代の長良社長とは長いつき合いだったが、最近の氷川の自由闊達をどう楽しんでいるだろう? 彼が目標とした〝ひばり男版〟は本人の自己開放や時流と相まって、こういう型に変化、成就している。現在の指揮官が実子の二代目神林義弘社長であることを思い合わせると、感慨深いものがあった。