新歩道橋1132回

2022年8月29日更新



 《なんでやねん、蟄居3年とじこもり、我慢々々でなんで陽性?》
 関西弁と愚痴がごっちゃで、われながら情ない。コロナ陽性を宣告された瞬間に、思い浮かんだフレーズ。後日、思慮分別ありげな短歌に書き直せばいいのだろうが、まるでその気にならない。何しろ8月5日のこの日、全国の感染者は23万3676人で、末尾「6」のうちの「1」が僕らしく、重篤化する可能性大の高齢者なのだ。
 コロナウイルス感染症の治療薬はのみ薬である。「パキロビッド・パック」なる錠剤を3個ずつ1日2回、朝晩に服用する。内容はウイルスを増殖させる酵素の働きを抑える「ニルマトレルビル」と、その効力を助ける「リトナビル」との組み合わせ。朝と晩、内容が異なるやつを5日間、間違えずにのみ切る必要がある。ファイザー製でパッケージの注意書きは英文のまま。2022年2月に特例承認されているという。「特例」とは、外国ですでに投薬の実績があり、国内でも緊急の使用が必要なことから、厚生労働大臣が特別に承認したことを指す。つまり、承認のための通常の条件を満たさなくても背に腹はかえられず…というケースだ。
 当然だろうが、投薬を受ける僕は「同意書」にサインをする。副作用があれこれ報告されていると言う。医師が詳しく説明してくれるのだが、専門用語は多めだし、こちらは動転のきわみにいて、言葉が素直に入って来ないから、
 「わかりました。お任せします。何とかして下さい。お願いしますよ」
 ともう泣かんばかり。この原稿で能書きを書けるまでになるのは、入院して二、三日後、渡された懇切ていねいな説明書を読んでのこと。多少落ち着きを取り戻してはいるがそれにしても、文章だと理解が早いあたり、根っからの活字人間だと、苦笑いした。昭和31年、スポーツニッポン新聞社にアルバイトの〝ボーヤ〟で転がり込んで以来、活字がらみの暮らしがもう66年にもなる…。
 長いこと、新橋の慈恵医大病院の世話になっている。痛風や前立腺肥大を手はじめに、3年に一ぺんくらいの人間ドックもここ。年を取るごとに何か出てくると、その都度担当部署に紹介してもらう。今回もたまたま、そんな治療の続きで5日は気楽に出かけた。問診で2日ほど前に37度代の熱があったと告げたら、一応検査すると別室に案内され、小1時間あとに予想だにせぬ宣告である。無症状だが即入院を希望する。つれあいは勤め人で、感染は何としても避けたい。ン? もう濃厚接触者か!
 発症して苦しんでいる人々の実情は知っていた。入院先が見つからず長時間救急車のまま行く先探し。自宅療養やむなしになって、往診も受けられず、病状が重篤化した例も少なくない。医療態勢が逼迫、従事者も感染、現場を離れざるを得ない惨状もある。それなのに僕は、発覚したその足で入院という恵まれ方である。主治医の好意もあろうが、僥倖としか言いようのない処遇だ。外来棟4階からコロナ専用のE棟4階へ、乗せられた車椅子ごとすっぽり防護用の袋に包み込まれて移動する。大きな病院というのは、凄い仕組みになっていた。壁の内側にもう一つの建造物があるのだ。縦横に走る通路がまるで巨大な迷路で、どこをどう通り、エレベーターをどう乗り換えたか見当もつかぬまま、E棟に着く。見回せばテレビでよく見たあの野戦病院ふうものものしさ。
 看護師さんも完全防御スタイルである。昼当番と夜当番を名乗る2交替だが、実は何人の世話になるのか見当がつかない。眉と眼だけでは誰がどの人か識別出来ないのだ。若い彼女らは医療器具とパソコンつきの台車でやって来て、実にてきぱきと作業をこなす。倦怠感はないか、吐き気や食欲の変化はないか、ノドは痛くないか? 飲食に支障はないか、息苦しくはないか…そんな質問は、感染症のものか、例の治療薬の副作用についてか? 怖いのは一人きりの夜中だった。気のせいか熱が出て、少し息苦しくなる。年寄りは突然容態が悪化する情報を、ついつい我が身に思い重ねて眠れなくなる。
 幸いなことにきつい症状も出ず、副作用もさしたることなしで、僕は12日、退院の許可を得た。入院1週間、発熱した日から数えて10日が、要治療の日数だったらしい。その間外部との接触は電話に限られていたが、僕はそれでいくつかの仕事をした。これは内証だが全英オープンの渋野が1打差で3位の残念も、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のとうもろこし畑から現れた鈴木誠也が、いきなり先制の長打を放つのも目撃した。
 その後は葉山の自宅で、また平穏な蟄居生活である。人にも会わず、当然酒を飲む機会もない。