新歩道橋1133回

2022年9月9日更新



 先週号に「コロナ感染」「即入院」のバタバタを書いた。8月中旬の出来事で、以後自宅謹慎、人に会わず酒も飲まない〝つもり〟だったのは、お騒がせの責任を感じての社交辞令。雑文屋の僕が家にこもっていては商売にならない。そこで舌の根もかわかぬうちに、東京・赤坂へ出かけた。友人の歌手仲町浩二のレコーディングで、僕はプロデューサーだ。
 「何だい、やったんだって? 頭領もつき合いがいいねえ…」
 出会い頭に作曲家岡千秋の一声である。新型コロナの危険が声高になったごく初期だから一昨年か、この人は早々と感染して話題の主になった。いわば〝コロナ先輩〟で、
 「あんなものは風邪と一緒、問題ない、問題ない」
 と口調が強め。たしか発症した当時は「相当にきつい」と嘆いていたはずだが、ノド元過ぎれば何とやらか。
 ほとんど無名の仲町のために、いいメロディーを2曲書いてくれた。「高知いの町仁淀川」と「おまえの笑顔」で、僕としては大いに恩に着なければならない。ことにメインの「高知いの町仁淀川」が、情感濃いめの抒情歌で、どこかに船村メロディーの匂いもする。「いの町」は「いのちょう」と読み、高知の水の景勝地。「仁淀川」は「によどがわ」と読み、有名な「四万十川」をしのぐ清流と聞く。「仁淀ブルー」と呼ばれて水質日本一。手すきの「土佐和紙」の里として知られる。
 仲町はもともとスポーツニッポン新聞社の広告セクションで働いていた後輩。若いころからの歌い手志願だったのが、定年を迎えるというので、記念にCDを作った。僕自身が70歳で舞台役者になった件もあり、「お前も、な!」の気分で、五木ひろしのアルバムから「孫が来る」(池田充男作詞、岡千秋作曲)をカバーした。仲町はすっかり〝その気〟になったが、業界の助っ人などないから孤立無援。全国区狙いは無理…と、縁のある高知へ通いつめる作戦をとった。2作めのオリジナルを「四万十川恋唄」にしたのも、ご当地人気を期待してのこと。
 ここ10年近く、仲町は健闘したのである。高知ではそこそこの顔と名前になり、驚いたことに親身に応援してくれた女性と所帯を持ち、すっかり高知土着の歌手になってしまった。長く続くコロナ禍で全国相手の歌手たちの活動範囲は縮んだ。しかし仲町はご近所まわりの仕事から地域を攻められる。だから今度は「高知いの町仁淀川」である。仲町が事務所を持ち、有力な後援者やお仲間が大勢居る町だから心強い。前作の四万十川よりさらにピンポイントの、いい詞を書いたのは紺野あずさ。星野哲郎門下で長いつきあいがあり、高知の生まれと育ちで、四万十川も仁淀川周辺も熟知していた。それが故郷の町へUターン、恋人に「待たせたね」「ごめんね…」の男を主人公にしたから、仲町は作品を自分の老後の青春に重ね合わせて、泣いた―。
 時おりあちこちに書くが、僕は全国的に顔と名前を知られ、ヒット曲を持つ人だけが歌手とは思っていない。地方に根を張って、土地の人々と歌で交流するタイプも立派な歌手なのだ。「地方区の巨匠」と呼んで親交を深めた浜松の佐伯一郎は亡くなったが、東北には「うまい酒」という乙な作品を歌う奥山えいじが居て、農業にも従事する。所沢から全国を睨む新田晃也は70歳を過ぎてもバリバリの本格派、近々中野でディナーショーをやる。福井には船村徹の弟子の越前二郎がいて、近隣に歌謡教室を開くなど活動は精力的…。僕はそんな彼らと友だちづきあいをしている。その路線につなげたいのが、仲町浩二なのだ。
 今回も岡千秋がしっかり歌唱のレッスンをしてくれた。ヒットメーカーが、稼ぎにならぬ歌手にボランティア。「すまないね」と頭を下げたら、
 「これでCD3枚めだもの、彼はもう弟子みたいなもんだからさ」
 と笑った。旅が好きで、歌心を旅で揺すり育てるタイプの彼には「高知いの町」も心に沁みる旅先の一つらしい。
 「秋にでも一緒に行こうよ、頭領…」
 と誘う彼のそばで、紺野も
 「私も行きたい!」
 と賛成し、当の仲町は
 「いの町のいいところ、端からご案内します」
 と、ここばかりは力が入った。
 ところで僕のコロナ騒ぎだが、先週のこの欄に書いて、見舞いの電話がかなり来ることをひそかに期待した。ところがたかだか三、四本で、最近沖縄に住む作詞家のもず唱平など
 「俺もやったぞ!」
 と電話の向こうで大声で笑った。見苦しいほど周章狼狽した手前、僕は、シュンとなった。