新歩道橋1139回

2022年12月3日更新



 山形の天童市に出向く。例年の「天童はな駒歌謡祭」の審査で、歌どころ東北のノド自慢70余名を聞く。このところ体調不良をかこって出歩かないが、わがままを言ってはいられない。佐藤千夜子杯全国大会から引き続き10数年の審査委員長役。地元の高僧矢吹海慶師も待っている。その滋味と諧謔に触れる方が、歌を聞くより楽しみな逆転現象まで起こっている。旅って奴の妙趣は、会いたい人に逢うことじゃないか!
 山と海と田畑に恵まれた地方である。自然相手のせいか、東北の人々の歌は大音声でやたらのびのび、いい気分が極まるタイプが多い。別にプロを目指す訳ではないから、それはそれで結構。そんな大向こう狙いの「うまい歌」から、酔い心地がほどほどに客席に届く「いい歌」を見出すことを、審査のメドにする。「沁みる歌」探しだ。
 コロナ禍でここ二、三年、あちこちのカラオケ大会は揃って自粛している。ところが天童は実行委員長として「口も出すが金も出す」と評判の矢吹高僧の号令一下、
 「感染防止に万全を尽くして、やるものはやる!」
 という張り切り方。考えられる手は全部打って、審査員のマスクさえ会の前後半で取り替えるくらい入念だ。そのせいか地域主体のこの催しに、遠来の挑戦者が加わる。大阪、京都、滋賀、千葉あたりから、歌えるならどこへでも行く人々の気合が入る。結局グランプリには、山形・寒河江市の佐藤信幸という人を選んだ。曲はちあきなおみの「冬隣」で、よく響く美声と抑制の利いた語り口の「めりはり」が魅力的だった。めりはりは「減り張り」「乙張」と書くと辞書にあるが、表現者の感性に負うところ大。「冬隣」という選曲もよかった。いい作品の酔い心地がプラスアルファになる利点がある。福田豊志郎さんの「男宿」にもそれが言えた。カラオケ巧者たちが鳥羽一郎のカップリング曲から掘り起こした作品だが、サビ以降の詞曲が、誰が歌っても沁みるタイプだ。
 「ところで和尚、実はねえ…」
 と、僕は久闊を叙したうえで、矢吹海慶師に詫びを入れた。音楽祭が11月13日、それから一週間後の20日には、彼のお祝いの会がある。日蓮宗の「権大僧正」に任じられた名誉をたたえ、同時に妙法寺住職の座を副住職で息子の矢吹栄修氏にバトンタッチ、それに「卒寿」90才のおめでたが重なっていた。ところが軟弱に過ぎる僕の体調は、週に2度の天童詣では無理と、主治医の助言に出っくわした。新幹線で片道3時間、一泊二日を繰り返すだけだが、行けば名物の「芋煮」と「青菜漬け」酒は出羽桜の「雪漫々」に「枯れ山水」と銘酒揃いで、甘露カンロ…の夜になることを、見抜かれての宣告だ。
 「権大僧正」というのは、
 「山形ではこの人一人、東北でも二、三人という偉い位だ」
 と、歌謡祭のスタッフがわが事のように自慢する。天童、ひいては山形、東北にまたがるだろう社会貢献が長く、数々の要職をこなして来た実績が、高僧の行跡に加わっていようか。それが初対面の時から、僕に「和尚!」と呼ばせる分けへだてのなさ、人懐っこさと人望を見せて来た。
 息子の栄修氏は48才、山形県会議員としてもう11年働いて、社会貢献も和尚ゆずり。サッカーのモンテディオ山形の新スタジアムを天童に建設、それに農業テーマパークとスマート農業を合わせる構想や、里山整備から子育て福祉支援、観光専門職大学の創設などの提案を「天童、躍動! の十策」とかかげて活動している。
 《そうか、和尚を祝う会は、世の中ふうに言えば彼の〝終活〟を見届ける催しになるのか…》
 と、僕は合点しかける。しかし待てよ、ここ十数年のつき合いで、和尚から〝過去〟の話を聞いたことも、その匂いを嗅いだ記憶もほとんどない。他愛のないジョークを連発する以外は、いつも「あれをこうする」「これはこうすべきか」と、現在進行中の話ばかりだ。出会ったころは舌がんをカラオケで制圧し、今度会ったら二月ごろに大腸がんの手術に成功したと笑った。
 心身ともに驚くべきタフさと行動力を示す90才である。どうやら僕が欠席した祝賀会を起点に、この人はまだ〝これから〟を見据える算段と気概を示したようだ。酔えば酔うほどチャーミングなこの高僧には〝過去〟は不要で、昨日までが〝現在〟なら今日からが〝未来〟というタイムスケジュールが用意されているのか。栄修氏も「何をやったか」よりも「何をやるか」が大切と説いていた。僕は和尚の今回の節目イベントを「終活」などと言う生半可なものではなく、毅然とした老後を生きる「毅活」とでも称すべきものかと考えている。