新歩道橋739回

2010年7月30日更新


 
 北海道の鹿部に居る。例によって星野哲郎の名代のぶらり旅。星野が加齢による体調不良で欠席、そのお供の助さん格さんふう岡千秋と里村龍一をメインにした一行である。7月21日からの2泊3日、土地の人々との交歓、とれたての海の幸とうまい酒、性懲りもなく連日のゴルフ…と、命の洗濯の限りを尽くす。毎年夏のこの行事は、もう20年余も続いている。
 おさらいをしておこう。函館から車で小1時間、川汲峠を越え噴火湾沿いに北上したところに鹿部町はある。人口5千人ほどの漁師町で、仰臥したゴリラの横顔に似た形の駒ケ岳を背負う。昔々町の青年たちに声を掛けられ、意気に感じた星野が毎夏訪ねるようになった。漁師と一緒に定置網を引き、番屋でいかそうめんを喰らい、土地の風物と人情に触れる。星野はここで〝海の詩人〟のネタ調べをし、山口県周防大島に次いでここを〝第二のふるさと〟とした。
 今回の東京勢には、地元のボス道場登氏の古稀のお祝いをする狙いがあった。彼は道場水産の社長で〝たらこの親父〟の異名を持つ。たらこ、明太子などの海産物を抜群の美味に仕立てる地元有力者だが、自称星野哲郎北海道後援会会長。シワを刻んだ笑顔に少年みたいな眼差しを持ち、「めんこいなあ」と、星野を敬愛すること他に類を見ない。星野の鹿部ぶらり旅は、この人との友情が軸になっている。
 そこで僕らは、彼のために「鹿部コキコキ節」という歌を作った。大賛成の星野の意を体した歌詞に、岡千秋が曲をつけ、陽気な歌声も引き受けた祝い歌。〝たらこの親父〟の実績と人望、朝から飲んでる酒と自慢のゴルフ、恋女房としっかり者の息子二人の様子など歌い込んだ。もちろん背景は金波銀波の噴火湾と、人々の営みを見守る駒ケ岳…と、すこぶる調子がいい。それをCDに焼き、非売品だがごていねいなジャケットもつけた。
 ついでのことに、そんな作戦だから地元へは秘中の秘。当日も地元有志のカラオケ大会のあとに、突然その発表と贈呈式を始めた。「祝古稀…」の横断幕、美女2名の花束贈呈、ちょっといい話つきで里村の乾杯の音頭のあとに、岡の歌唱になるサプライズである。どうせ喜ばせるなら相当なショックとともに…という、お祭り好きの僕らの悪だくらみ、これが見事にはまって、道場社長は尚子夫人と踊り、感激した息子が涙を浮かべる大騒ぎになった。
 その22日のスケジュールは、まず早朝6時すぎ出船の釣り大会。岡が大型のばばがれいをあげたのをはじめ、あぶらっこ(東京ではあいなめと呼ぶ)や中型ほっけをそれぞれが釣り上げて上機嫌。噴火湾は珍しく波が高く、地元紳士の一人が船酔いでへたり込んで一昼夜、酒のサカナにされる一幕も生まれた。番屋のメシと酒のあとは午前11時集合のゴルフ・コンペ、それが終わると表彰式でまた酒盛り。午後6時すぎからがカラオケ大会で、とどめがそのサドンデス古稀祝宴である。
 何ともまあ、ハードなスケジュールと、星野が聞いたら怒りそう。それを着々とこなしたのも、テーブルに登場し続けたとれとれ海の幸のせい。ばばがれいやあぶらっこは刺身、それにあめ色のいかそうめんのぶっかけ飯。ほっけの煮付けは初体験だし、うには生で喰い、焼いて喰い、塩辛で喰い、毛がにはざるに山ほど。そのうちまぐろの刺身が登場。かじか汁を振舞われ、じゃがいも、とうもろこしまで、もともとこんなにうまいものだったか!と驚く味なのだ。
 読者諸兄姉には、生ツバを飲み込ませる記述で恐縮だが、参加者全員が口々に言うのは、
 「星野先生に喰わしたいなあ」
 という感想。言ってみれば僕らは北の漁師町で、星野の仁徳にあやかり続けていることになる。
 天気予報の「大雨注意」もぶっ飛んで薄曇りの一日。熱暑の東京を離れてこの時期、汗もかかないゴルフ日和が続いた。僕らが帰京した後この町では「鹿部コキコキ節」がすみずみに浸透、ニコニコと歌われることになるだろう。

週刊ミュージック・リポート