新歩道橋742回

2010年8月27日更新


 
 日々、東京スカイツリーという奴を見上げて暮らしている。逗子から錦糸町までJRで一直線。駅の北口から業平橋方向へ15分ほど歩く。隅田パークスタジオは春日通りの横川1丁目信号そばにあって、例のタワーが眼の前だ。ああいうものは遠くから見ると姿形もすっきりとし、東京タワーをしのぐという高さにも納得がいきそう。それを間近で見上げると、周辺のビルの間にヌッと、巨大な銀色ずん胴が、何やら特撮の1シーンみたいなまがまがしさである。
 「そう言えば、魚のうろこなんか連想しそうね」
 「敷地が狭いせいで、裾広がりのシルエットには出来なかったみたいだよ」
 口々の感想は先輩の役者衆である。東宝現代劇75人の会のメンバーで、9月8日から池袋の東京芸術劇場小ホールでやる「喜劇隣人戦争」(作小幡欣治、演出丸山博一)のけいこ中。僕は昨年の「浅草瓢箪池」に出して貰って、今回が二度めのお声掛かりだ。
 午後1時けいこ開始へ向けて、炎天下を歩く。急ぎ足だとサウナ入浴状態になるから、日陰から日陰へ歩調はゆっくりめ。途中、太田道灌が創設したという法恩寺には「9月1日、思い出のすいとん会」の看板があって「関東大震災記念」のただし書きつき。
 《この辺もきっと大変だったんだろうな》
 と、あたりを見回せば、○○熱器、○○ハンダ、○○シャフト、○○製作所など、小ぶりの工場の看板が飛び飛びで、三味線の製造販売店や江戸切子や組み紐の店などが混じる。
 隅田パークスタジオは、そんな下町の、かつての工場地帯の中にある。巨大な倉庫群を大小いくつものスタジオに棟分けした施設だが、門柱の表示は「鈴木興産株式会社」と、いかにもいかにも…の書体だったりする。帝劇地下のローズルームで読み合わせを10日間やって、僕らは12日からそこの第3スタジオで立ちげいこに入った。8月15日は終戦記念日。
 「この辺は焼け野原になったんだろうね」
 などと、似た年かっこうの役者さんたちとしみじみしたあとの17日、突然、時ならぬ同窓会ムードが出現した。
 「やあ居た居た! 統領元気だった?」
 どかどか現われたのは、綿引大介、小森薫、小坂正道、眞乃ゆりあ、紫ともなんて面々。この日から第2スタジオでけいこに入った名古屋御園座9月公演、松平健主演の「忠臣蔵」の出演者で、みんな川中美幸公演で一緒になったお仲間だ。
 「それではまず、暑気払いを!」
 となるのは、いつもの乗り。錦糸町駅近くの「一濱」なんて飲み屋に飛び込み、オダをあげていたら、
 「いやあ、久しぶりだねえ」
 と合流したのが何と、著名な殺陣師の菅原俊夫氏。もうひとつ別の第1スタジオでけいこ中の大阪松竹座9月公演「花の武将 前田慶次」の立ち回りを指揮しているという。その後ろでニコニコするのは、松平組の真砂皓太に西山清孝、田井克幸。菅原氏は美空ひばりと長く親交のあった人で、僕も最近手ほどきを受けて木刀を振った。田井は去年の5月御園座で1カ月、彼の炊き出しの昼飯にありついたから、一宿一飯の恩義!?がある。
 ところで肝心の「喜劇隣人戦争」だが、昭和50年過ぎ、東京郊外に出来た6軒の建て売り住宅が舞台。下山田ひろの、梅原妙美、田嶋佳子、高橋志麻子、松村朋子、菅野園子が扮する6人の主婦たちの葛藤と、地元主婦である竹内幸子、新井みよ子との攻防が、丁々発止の〝おんなの戦い〟を展開する。
 僕の役は下山田の舅・隅田大造71才、もと建具屋の職人で、なぜか小学校に通い、子役の4年生と一緒に勉学の日々を謳歌する。扮装も言動もやたらにうけそうな〝もうけ役〟を貰って、それをきちんと至極真面目にやりおわせるかどうかが課題だ。
 ゴシップを一個だけ書けば、僕は髪を職人らしい角刈りにカットすることになった。芝居が終わった夏から秋へ、歌社会の皆様には意表を衝いた〝棟梁カット〟でお目もじとなる。

週刊ミュージック・リポート