新歩道橋743回

2010年9月3日更新


 
 中村美律子が折にふれて寄進している盲導犬は、この秋で33頭になる。選ばれた犬の育成費を負担しているらしいのだが、「壺坂情話」を出した平成5年に思い立ったそうだから、もう17年続いている勘定。歌手生活25周年を迎えた今年で、実は31頭めだったのだが、急に2頭分増えた。彼女の記念曲「人生一度」を書いた作詞のたかたかしと作曲の岡千秋が趣旨に賛同したせいで、9月中旬には三人揃い踏みで、大阪の橋下知事に届けるそうな。
 「災難って奴はいつどこで降りかかるか、判らないもんだねえ」
 と冷やかしたら、
 「いやいや、俺たちも何とかお役に立ちたいと思ってね」
 と、たかも岡も殊勝な笑顔とコメントだった。8月25日夜の明治記念館。中村の所属事務所ゴールデンミュージック・プロモーション恒例の納涼祭パーティーの席だ。中村の「人生一度」がこの日発売なのに合わせて「25周年おめでとう」がメインテーマになったから、たかと岡はいわば主賓である。
 「いい歌でしょ。これは絶対に当たる。その勢いで年末勝負ですよ!」
 社長の市村義文氏が力みかえる。この人、こうと決めたらまっしぐらに突進するタイプ。昔々、森昌子のマネジャーだった当時から変わらない。やんちゃな言動と血液型Aの気配りが面白く、頼もしくもあって親交が続いているが、この夜のこのコメントも、「中村を今年も紅白歌合戦へ是非!」の公言だったりして憎めない。
 中村はこの事務所へ移籍して4年めである。20年間大阪の事務所で頑張り、一念発起して鞍替えした。大阪ローカルの人気者が、メジャーデビューを果たした昭和61年が、彼女の最初の箱根越え。今度はそれに次ぐ2度目の乾坤一擲だったが、万事うまく行った。念願の紅白キップも手に入れたし、同時に移籍したキングレコードでも、そこそこの居場所を確保している。
 「恵まれているね」
 と声をかけたら、
 「しあわせ過ぎて、恐いくらい…」
 と、打って返す答えが来る。その恵まれ方はもうひとつあって、同じ事務所の仲間たちの協力ぶり。香田晋が会場入り口にあいさつに立てば、松居直美、島崎和歌子は司会の手伝いをする。年齢やキャリアはともかく、三人ともこの事務所では先輩である。それがこだわらない笑顔で挙党態勢!を組むあたり見上げたものだ。
 市村社長は、
 「この世界の長男は田邊昭知(田邊エージェンシー社長)次男は周防郁雄(バーニングプロダクション社長)で三男が俺…」
 が口癖だが、その兄貴!?たちをはじめ、音楽事業者協会のお歴々が来賓の席にズラリと並んだ。それに呼応するように、パーティーの客も音楽業界の紳士録が出来そうな顔ぶれ。ここのところ低迷続きで、お祭り行事など途絶えっぱなしなのがこの業界で、
 「これはもう、事件ですね」
 と、若い後輩記者が眼を丸くしていた。
 《そういえば…》
 と思い返すのは〝流行歌黄金時代〟の1970年代。歌謡曲、演歌にフォークもGSもポップスも…と何でもありの賑いを反映して、業界はパーティーごっこでパワーを競ったものだ。この夜の主催者市村社長も参加した紳士たちも、ひととき往時を再現した気分だったかも知れない。
 「そのためにウチの社長は…」
 と、松居がきつめのジョークを一発。市村氏の昼食は毎日めざしとメロンパンと牛乳だけ。ツメに火をともす倹約で、毎年のこの会に備えるのだそうな。
 《そういえば…》
 と僕はもう一度しつこい。そっと調べたところ盲導犬1頭の育成費は150万円ちょっと。だからたかと岡に〝災難〟だろうともちかけたのだが、それへの中村の答えも罪がなかった。
 「私が頑張ってこの曲をヒットさせるでしょ。先生たちの印税がその分グンと増えるでしょ。ねえ、協力して下さいよ!」

週刊ミュージック・リポート