新歩道橋745回

2010年9月17日更新


 
 熟女たちのカラオケ定番の曲に「北窓」がある。歌っている森サカエは近ごろ、ベテランのジャズシンガーよりも、とても上手な歌謡曲歌いと認知されている。別にその辺にこだわることもあるまい。歌手生活50周年、間違いなくとうに還暦は超えているキャリアが、チャートに名を連ねるのは、ご同慶のいたりではないか!
 ?ラ・モナムール、あなただけを、恋したい、もういちど…
 という決まりのフレーズが、彼女たちの心をゆすぶるシャンソン・テイスト。詞は水木れいじで、曲は船村徹である。この作品、世に出たのは2000年のことで10年も前。それが熟女たちの掘り出しものソングになった。いい歌はいつか必ず陽の目を見る典型的なケースか。
 《ことのついでに、アレも掘り出して欲しいものだ…》
 と、僕は森の持ち歌のもう一つを思い起こす。もう何度もあちこちに書いたから「またか!」と思われる向きもあろうが「空(くう)」というその作品は、文句なしの傑作だ。
 ?形あるものはみな、滅ぶ日のためにある、色即是空 空即是色 ひとり旅をゆく…
 と歌い納める詞は星野哲郎、曲はこれも船村で、諦観の厳しさと穏やかさが、宗教や哲学にも通じそう。
 「売れる、売れない」を超越出来た両ベテランだからこそ到達した世界だろうが、抑制の利いた森の歌唱もきちんと役割を果たしている。発表されたのは1995年だから15年前。もうお気づきだろうが森は、歌手生活40周年に「空」45周年に「北窓」を貰って、節目の5年ごとに船村メロディーを自分の財産にした勘定になる。
 9月4日夜、僕はなかのZEROホールでこの2曲を立て続けにナマで聞いた。森の50周年記念コンサートでのことで「空」を知って以来、森のナマ歌の追っかけになった僕は、心身ともに打ちふるえる感興にひたったものだ。50周年の一発勝負のイベント。彼女と親交のある僕が立ち会わぬわけにはいかない。この日も実は東宝現代劇75人の会の9月公演「喜劇・隣人戦争」のけいこが大詰めだったのだが、断固として中退、錦糸町のスタジオから中野へひた走った。
 もっともそんな恩着せがましさはおくびにも出さないが、無理を通せば大きな収穫もあるものだ。森は三たびの5年めで、また船村作品を記念曲にしていた。詞が荒木とよひさに代わって「落花の海」で、
 ?ナックヮヌン、ウルジ、アヌンダ、落ちる花は泣かない…
 と、韓国語まじりの決めのフレーズがある。
 玄界灘に身を投げた二人の男女を花にたとえて、黒い海、白い月、幾千里漂う運命を歌う。恋人たちのひととなりや死を選ぶ経緯などは一切なしの詞を、船村メロディーが心ゆする旋律に乗せた。その濃いめの抒情性を、森は余分な感情移入を避け、叙事詩的に歌った。結果生まれたのは、ものものしいくらいに深い悲痛さで、これも人間の諦観に行きつく。
 「ポップスを歌う時のこの人とは、全く違う歌い方になりますねえ」
 隣の席の田辺靖雄が感じ入った口調になる。そう言えばこの夜の森の選曲は、映画音楽を軸に、ジャズやポップスと、お得意路線が主。おおアメリカ! おおハリウッド、おお、パワフルだった昭和!の明るさにあふれていた。それが一転、オリジナルではとても東洋的な〝静〟の世界に行きつくのは、森のもう一つの内面なのか、船村メロディーの含蓄なのか?
 森の船村3作品にしびれたところへ、当の船村が特別ゲストとして登場、しかも知る人ぞ知る名曲「希望(のぞみ)」を歌ったから、会場は水を打った静まり方になった。
 ?ここから出たら旅に行きたい、坊やを連れて汽車に乗りたい…
 女囚の心情を歌って、いつどこで聞いても、その詞と曲の哀切に必ず大勢が泣くステージである。僕の「聴く果報」はこの夜、尽きることがなかった。

週刊ミュージック・リポート