島津亜矢の楽屋は、いつも笑顔の母親と愛犬が2匹、彼女の家の茶の間が、そのまま引っ越して来たような雰囲気がある。10月7日夕のNHKホール。会場入り口の外側には、テイチクの幹部社員のダークスーツが並び、中へ入れば西山千秋社長が小腰をかがめた。看板歌手のリサイタルを、社をあげて応援する空気が熱っぽい。
関係者の、そんなものものしさと、楽屋のリラックスムードが好対照で、そんな二重構造が、島津をのびのびとさせ、開演5分前のベルが、彼女の〝その気〟にスイッチを入れる。緞帳が上がり、島津にスポットライトが当たれば、会場から沸き上がるのはおなじみの、
「亜矢ちゃ~ん!」
の怒号である。「関の弥太っぺ」を第一声に、いつもながらの熱演舞台が始まる。これが彼女が25年の年月をかけて作りあげた「島津亜矢らしさ」だ。
ファンは安心して、彼女の世界へ導かれていく。「王将」「おさらば故郷さん」「与作」など先輩たちの曲も、亜矢流に噛みくだかれ、色づけがされている。「ロックンロール・ウィドウ」「ハナミズキ」「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」なんて曲が並んでも、さして驚きはしない。ミニのドレスで彼女が歌う姿は、近ごろではもう想定内のもの。そして歌謡浪曲「元禄花の兄弟・赤垣源蔵」が出て来れば、また男たちのだみ声が、
「亜矢ちゃ~ん!」
なのだ。
「袴をはいた渡り鳥」を皮切りにオリジナルがズラリ。スクリーンに師匠の星野哲郎が登場して、愛情に満ちたコメントをする。彼の真情をそのまま歌にした「海で一生終わりたかった」や「海鳴りの詩」「波」は星野の詞に船村徹の曲。譜割りが細かい船村独特の難曲も、亜矢は危なげなくクリアした。
元来、声そのものや歌い回す力が、大きなボリュームを持つ人だ。その艶や張りを彼女流の意欲が突き動かすから、聞く側の胸にかなり強い圧力が加わる。言ってみれば加圧式歌唱みたいなもので、そこから〝未完の大器〟という惹句が生まれていた。そんな流行歌手ぶりに加えて「名作歌謡劇場」シリーズがあり、懐メロ大盤振舞いの「BS日本のうた」シリーズがある。面白そうなものを片っ端からやって、全部が熱演型だ。僕は長いこと、しばしばボディブローをくらった心地になり、時にうんざりしながら彼女の魅力を堪能して来た。担当プロデューサーの千賀泰洋と顔を見合わせ、ただ笑っちゃうしかない体験を何回もしている。
《ところが最近、少しは粋っぽくなって来た。歌の差し引きに緩急の気配が生まれていて、その分歌が丸みを帯びている》
僕はNHKホールの客席の暗がりで、紙片にそんな感想をメモした。歌をめいっぱいに差し出すのではなく、ふっと〝のりしろ〟部分がまだ残っていそうに思わせる陰影や、奥行きを示し始めている。いつのころからか彼女は〝歌う突貫娘〟を抜け出した上に〝未完の大器〟の〝未完の〟の3文字を、返上しかけていはしないか? それこそ彼女が、歌手生活25年であらわにしはじめた進境ではないかしらん?
会場に珍しい顔が居て、阿久悠の息子の深田太郎君。島津が阿久の遺作を集めてオリジナル・アルバム作りに入っているのが縁だが、
「凄い人ですねえ」
と感に耐えない表情を作った。人気役者藤十郎との恋に乱れるお梶を一人芝居と歌で展開した「名作歌謡劇場・お梶」のおどろおどろの舞台は、他に類を見ない演し物だから、驚くのも無理はなかった。
阿久悠の記念館は明治大学が作ることで阿久夫人と基本合意、その準備に入っている。立ち話で
「とりあえず宇佐美の家にあったゆかりの品は全部、明大の方へ運びました」
とも聞いた。彼の大仕事が一つ、端緒についたと言うことになる。オフィストゥーワンに入り、阿久関連の仕事を始めた朝倉隆がそのそばで、仔細ありげな顔でコックリしていた。
