新歩道橋761回

2011年2月11日更新



 いきなり「噂のこして」の歌詞をそらんじて見せた。作詞家藤間哲郎の米寿を祝う会で、乾杯の音頭を命じられてのこと。型破り過ぎてあざといか…とも思ったが、あいさつの冒頭の用意、これしか思いつかないのだから仕方がない。
 「噂のこしてとも網といて、雨に帆あげた主の船…」
 昭和30年、三橋美智也の歌で、作曲は山口俊郎。同じトリオの「おんな船頭唄」が大ヒットした年に出たからその陰に隠れたが、あまたある藤間作品の中で、僕はこの歌詞が一番好きなのだ。
 「泣いて止めても男はなぜに、旅を気強く行くのやら…」
 1月28日午後、グランドアーク半蔵門の富士の間で開かれた会。グラス片手に起立した人々は「ン?」という顔になる。それが、話のマクラに詞を使うのも、ままある手口か…と、鵜呑みにしかかったところへ、僕は二番と三番の歌詞をたて続けに暗誦した。
 「そこまでやるか!」
 と会場はざわめいたが、こちらはお茶の子さいさい。高校時代に脳裏に刷り込んだ歌詞は、60年近く後でもすらすら出て来る。これは僕の記憶力ではなくて、いい歌の歌詞の生命力が凄いのだ。
 そりゃあ「おんな船頭唄」もいいし「別れの波止場」「トチチリ流し」「男のブルース」「東京アンナ」「お別れ公衆電話」…と、みんないいけどさ…と席に戻って言ったら、
 「全部知ってるの?」
 と、隣りの席の弦哲也が聞く。
 「みんな歌えるさ」
 と答えたら「へえ!」と呆れた声を出した。彼は作曲家大沢浄二の弟子で、その大沢が藤間一門だから、藤間哲郎の孫弟子に当たる。
 「〝刃傷松の廊下〟だけは歌えないけど…」
 と言ったのを「何で?」と聞きとがめたのは作曲者の桜田誠一。
 「俺の芸風にゃ合わなかったのよ」
 と笑った僕の眼の前で、これを鏡五郎が歌う。血が熱く芝居っ気たっぷりの人が、作詞者のお祝いの席で歌うのだから、めいっぱいの大熱演…。
 旧友の新川二郎は「東京の灯よいつまでも」を歌った。今年歌手生活50周年、と言えば70才を超えていようが、若々しい声の張りの作り方も芸のうち。
 「この作品がなかったら、新川二郎はいません」
 のコメントもなかなかだ。森若里子は「女の酒」を歌う。ふっくら熟女が依然として、風情楚楚としているのもまた芸のうちか。
 「噂のこして」の話に戻るが、僕は折にふれて藤間に、
 「あの歌が最高!一番好きです」
 と言い続けて来た。それが単なるお追従ではないことを示したかったのが、この日の暗誦の本意。三番まで一行一句のゆるみもなく、簡潔な表現がぴ~んと緊張の糸を張っている。かけ言葉の生かし方もさりげなく的確。一番、二番、三番…と、女主人公の心の動きが巧みな展開を示して、切なさが甘美だ。歌ってよし、読んでよし、そらんじてよしの一編、嘘だと思うならネットで引っ張れば出てくるので一読をおすすめする。
 湯川れい子があいさつで「おんな船頭唄」に触れた。嬉しがらせて泣かせて消えたのが「旅の人」ではなく「旅の風」としたから、後半で鳴るざんざら真菰と、相乗効果を上げた例である。誠にその通りで、そんな言い替えと意味の重ね方が、この歌の含蓄を深くしている。そしてそれが日本語のよさ、奥の深さに通じるのだが、昨今の歌詞はほとんど「旅の人」どまり。流行歌が痩せて、小ぶりになった一因だろう。
 「だから、詞を書いて、お手本を示してほしい」
 と僕は、あいさつの中で藤間のお尻を叩いた。88才、それはないものねだりだろうという反応も生まれたが、そんなことはない。本人のあいさつ状の末尾に、
 「春光の あるじ吾かや 長寿宴」
 「まさかです 米寿の祝い 南無三宝」
 と二句あり、「哲老」の署名があるではないか!老獪さも含めて、藤間哲郎まだ現役の証しだろう。

週刊ミュージック・リポート