新歩道橋764回

2011年3月4日更新


 
 2月23日、劇作家小幡欣治氏の通夜に出かけた。東京はこの夜、急に気温が上がって妙に暖かかったが、桐ヶ谷斎場に集まった人々は、みな引き締まった表情を並べた。ことにスタッフとして立ち働く東宝現代劇七十五人の会の面々は、言葉少なに弔問者を誘導するなど、僕が知っている彼や彼女たちとは、まるで別人みたいだった。17日、肺がんで逝った小幡氏82才への、畏敬の念が式場に満ちている。
 「あのうるさ型の大作家が、最後に褒めたのがあんたですよ」
 俳優の横澤祐一が恐ろしいことを言う。七十五人の会は昨年秋池袋の東京芸術劇場で、小幡氏の「喜劇・隣人戦争」を上演、それに僕は隅田家の舅大造役で出た。もと建具屋の職人71才だが、なぜか向学心に燃えて、小学校に通う4年生。黄色い帽子をかぶって、
 「ただいま!」
 なんて帰って来れば、客席はかならずどよめく、不思議なもうけ役だった。
 「君、なかなかいいね。うん、余分なことを全然しないところがいい!」
 9月8日夜の初日を見たあと、劇場近くのビアホールで会の幹部と一杯やった小幡氏は、末席にいた僕に確かにそう言った。初演の時はあの宮口精二がやった役、びびりながら何とか…の僕は経験が浅く技術もないから、根っきり葉っきりこれっきり、余分なことなどやりようもない。
 「うむ…」
 演出の丸山博一が合点し、女優さんたちは「まあ」とか「そうですね」とか…。
 小幡氏の代表作は「三婆」「恍惚の人」「熊楠の家」などと聞いた。昨年民芸が上演、僕も見た「どろんどろん―裏版〝四谷怪談〟」が最後の作品。
 それ以前に一度、僕はこの人と有楽町のガード下のビアホール「バーデンバーデン」で会っている。役者さんたちが行きつけのこの店で役者さんたちに囲まれて、小幡氏は上機嫌。少年みたいに端整な面立ちの、眼鏡の奥の眼がまた、少年みたいにきらきらして、よく通る声で話しをした。
 葬いの祭壇は菊もバラも蘭も白一色。その中央に飾られた遺影は、そんな談笑の時間から切り取ったショットみたいで、相変わらず片手に煙草だ。
 「明治座のけいこ中でしょ。今度はどういうふうなの?」
 横澤の声で我に返る。3月は川中美幸の歌手生活35周年記念公演である。芝居は古田求脚本、華家三九郎演出の「天空の夢・長崎お慶物語」で、時代は幕末。らつ腕の女貿易商大浦慶を川中が演じて、共演は田村亮、土田早苗、仲本工事、奈良富士子、紫ともらだ。
 「ちょっと前にはあんた、西郷隆盛をやってあの大舞台で歌なんか歌って、あろうことか川中さんを踊らせた。よもや今度はそんなことはないだろうね」
 「それが今度はもっと大変。座長と差しの芝居でお説教なんかして、おしまいには泣かしちゃうの」
 通夜の席での、横澤とのひそひそ話である。初舞台だった5年前の明治座川中公演で会い、以後親交が続く同い年だが、
 「ふ~ん」
 横澤のリアクションはそっけなかった。
 《大丈夫かい? そんな大層な役を貰って…》
 が真意だろうか。
 けいこは江東区森下に新築された明治座のけいこ場でやっている。こういうのもこけら落としと言うのかどうか知らないが、今回の川中公演がそこを使う第1号、まだ建築資材の匂いが少しするけど、スタジオは実に広々として気分がいい。森下の交差点からけいこ場へ向かって新大橋通りをちょいと行けば、創業130年の馬刺・馬鍋の「みの家」がある。清澄通りをちょいと戻れば、カレーパンの元祖「カトレア」があり、もう少し行けば髙橋で、名代のどじょう屋伊勢喜がある…といったあんばい。
 2000年まで長く通ったスポーツニッポン新聞社は越中島にあるから、深川一帯は僕の旧なわばりである。そう言えば七十五人の会の今秋公演は深川ものになるそうな。僕は3年連続で今回も、お仲間に加えて貰えそうな気配だ。

週刊ミュージック・リポート