新歩道橋766回

2011年3月19日更新



 「おじさん!」
 ひたと僕を見上げた川中美幸の眼から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。
 《うッ!》
 と胸を衝かれた僕は、そこで我れを失いかける。懸命に芝居をやっているつもりが、一瞬、素の自分に戻ってしまうのだ。
 《泣くのか! そこまであんたは、大浦屋のお慶になり切っているのか。う~ん、それにしても…》
 川中の明治座3月公演「天空の夢・長崎お慶物語」の一幕四場。場所は豪商小曽根六左衛門の屋敷の奥座敷である。川中のお慶は老舗の油商を女手一つで切り盛りしていたが、外国人相手に大量の茶葉を売ることに活路を見出そうとする。大きな商談がまとまりかけて、融資を頼みに来たのがこのシーン。しかし、旧知の小曽根に扮する僕に商売の甘さを指摘され、断られる。
 大浦屋慶は幕末から明治へ、貿易商として大成した実在の人物。長崎を舞台に坂本竜馬ら志士たちを支援したエピソードも残るらしいが、今ふううに言えば凄腕の起業家で、知識も教養もある聡明なキャリア・ウーマンの〝はしり〟だろうか。それが、自分の不明を恥じ、精神的な転機とするのが、冒頭に書いたシーンの意味合いと位置づけ。
 恐ろしいくらいに重要な場面なのだ。それを僕は川中との差しの芝居でやってのけねばならない。
 「あんたは女で商売をする気か、それがあんたの目指す商売か!」
 八百両の無心の担保を聞かれ、
 「担保はこの私です。うちを好きにして下さい」
 と答えた慶への、小曽根の怒りである。
 そこから小曽根の僕は、じゅんじゅんと彼女を諭していくのだが、お説教に聞こえたら負け。お慶への愛情を秘めて、いわば〝商人の哲学〟を伝える温かさと厳しさが要求される。
 「いやあしかし、よくもまああれだけのセリフを、座長相手に頑張れるもんだよ」
 「いい役を貰ったってことだね。これを一カ月やり通せたら、あんた、もって瞑すべしだろ」
 「やっと、それらしくなって来たよ。70代の手習いなんて言ってたけど、ま、あんたらしい取り組み方が認めてもらえたのかも知れんな」
 楽屋をのぞく友人たちの感想は、おおむね好意的である。ベテラン作家古田求氏が、うっとりするくらいいいセリフを沢山書いてくれて、華家三九郎を名乗るテレビの演出家大森青児氏が、
 「問題は〝志〟です。それに維持すべきは強い〝気〟です」
 と、けいこからずっと、お尻を叩いてくれていてのこと。
 そして何よりも有難いのは、まだまだ揺れ加減の僕の芝居を、きっちり受け止めてくれる川中の懐の深さだ。商人の心のありようをぶち上げる僕の言葉の端々に反応しながら、言葉少なめの対応で、より高い感興へ導いてくれるのは、実は彼女の方なのだ。
 「ちゃんと大金持ちのダンナに見えるよ。大したもんだよ」
 と笑った友人もいたが、実はこれが貰った衣装のお陰。金色を織り込んだ茶系の着物と羽織が、一幕四場と大詰め用に、2着用意されていた。材質も織りも格別のもので、テレビや映画でよく見る殿様用みたい。それなりにズッシリとした手応えと着心持ちで、その分、着るとやたらに暑い。床山さんとお衣装さんの好意で、早めに身支度をすます。衣装を自分になじませたいためだが、出を待つ間は扇風機をつけっぱなしだ。
 そんな衣装で、立ち居振る舞いをそれらしく…と、大金持ちになどなったこともない僕が思い描くあれこれ。座ぶとんからスッと立つはずがよろけたら、せっかくの芝居が台なしになる。そのあとに、お慶に背を向けて庭へ出るシーンが続くが、濡れ縁から降りて庭下駄をはくのがまたひと苦労。白足袋が滑るせいだが、
 「足袋の裏を濡らしておくといいですよ」
 中年の小道具さんが耳打ちをしてくれた。そんな細かいことにまで知恵があるんだと感じ入るが、教えてくれた親切もまた、大いに身に沁みるのである。

週刊ミュージック・リポート