新歩道橋767回

2011年4月1日更新



 「遣らずの雨」の2コーラスめ、楽屋の床がグラッと揺れた。「地震か!」と立ち上がったところへ、ガツンと縦揺れが来たが、舞台の川中美幸の歌声はまだ続く。ザ・ロータスの演奏もそれに和している。3月11日午後2時46分、マグニチュード9・0の東日本大震災が突発した瞬間だ。場所は明治座。川中の35周年記念公演の昼の部は、芝居の「天空の夢・長崎お慶物語」が順調に終わり、ショーの部の大詰めだった。「遣らずの雨」のあとは、短いトークをはさんで「二輪草」でフィナーレ。そんな間合いでの衝撃である。
 マネジャーのシンゴが、頭取部屋の前から舞台下手そでへ走る。ダンサーと俳優を兼ねるダイスケは上手そでへ突進した。舞台では
 「大丈夫です。みなさん落ちついて!」
 と、川中が客席に呼びかけるが、マイクの電源はもう飛んでいた。天井から照明の器具などがぶら下がり、音を立ててぶつかり合う。セットの背景や、家屋敷の壁、ふすまなどが倒れかかる。ほこりが幕みたいに降りかかる中で、川中は関係者に囲まれた。ドッと声を挙げ総立ちになった客が、出入り口を目指す。一部はぼう然と座り込んだままなのを目回しながら、
 「みんな大丈夫? ケガはしていない?」
 脱出する川中が口にしたのは、共演者やスタッフへの気遣いだった――。
 あれから13日がたった24日。僕らは東北から関東までの惨状を、こと細かにおびただしい情報で知る。大地震の物凄さ、想像を絶する大津波の実態、いくつもの町が消え、死者と行方不明の人々の数は日に日に増すばかり。そのうえに原発の事故と、放射能汚染の恐怖が広がる。「壊滅的な打撃」という6文字ではとうてい言い表わせない事態に直面して、表現するという作業の、もどかしさや虚しさに突き当たるのは僕のなりわいのせいか。
 「日本人は、悲観しない運命論者だ」
 と言い捨てて、外国人たちは先を争うように日本を離れた。未曾有の出来事に遭遇しても、絶望せず自棄にもならず、力を合わせて苦境に立ち向かう姿が、理解できないのか。この不屈の忍耐力、この支え合う精神、どん底でなお失わない善意、協力と共闘と団結が日本人の凄いところだ…と胸を熱くしながら、同時になす術もない無力感も抱え込む日々…。
 《参ったなあ》と《よおしっ!》をひっくるめた気持ちで、僕らは20日、明治座公演の再開に参加した。8日間の休演のあと、考えることは山ほどある。やりたいことも10指にあまる。しかし、それぞれが自分の出来ること、しなければならないことに集中しなければいけない時だ。座長の川中を軸に、集まった出演者やスタッフが、共有した思いはこれではなかったろうか? 川中の演技や歌は、熱を帯びボルテージを高める。それを中心にみんなが、まるで一心同体みたいに一途になる…。
 歌や芝居などの娯楽は、不要不急のものと思われがちだ。国中が憂色に包まれ、平穏を取り戻せるのは何カ月先か、何年先かという危機的状況下で、浮いた気分になどなれるか!と眉をしかめる向きもあろう。しかし、僕らは
 《だからこそ今、歌を!》
 と思い定める。庶民の絶望や不安の〝心の隙間〟を歌が埋めた歴史がある。歌が苦境にある人々の心を癒し、慰め、励まし、奮い立たせた例を沢山知っている。目の前でも家族や故郷、地域社会や親類縁者、友人知人などの安否を気づかい、少ない情報に一喜一憂しながら、自分の役割に熱中しようとする人々が大勢居る。そんな仲間と一緒に、
 《だからこそ今! じゃないのか…》
 と「川中一座」の思いは吹っ切れていた。
 「がんばろう日本! がんばろう日本!」
 ステージで叫ぶ川中に和して、僕らは心の中の拳を突き上げる。川中の35周年はこういうふうに、かかわったみんなが、深く心に刻み込む日々になった。まるでそれに呼応するように、公演の終盤、劇場には立ち見の客までが詰めかけていた。

週刊ミュージック・リポート