新歩道橋772回

2011年5月20日更新


 
 「またつかまりにくくなったぞ。もしかして、芝居のけいこか?」
 友人が電話の向こうでうんざりした声を出す。図星なのだ。今度は6月に名古屋の御園座でやる「恋文・星野哲郎物語」(2日~9日、13公演)に出る。星野の「妻への詫び状」を原作に、岡本さとるが脚本を書き、菅原道則が演出…と伝えると、
 「星野先生ものか、それじゃしようがねえよな」
 相手は妙な合点の仕方をした。何がしようがねえのかは、判ったような判らないような気分で、
 「毎日けいこ場にいるんだぜ、こんなにつかまりやすい日々はないだろう!」
 などと、僕は問答を押し返す。制作協力という形でプロデュースするアーティストジャパンという会社のスタジオに居るのだが、そう言ったところで相手に通じようはずもない。
 「ケイタイ持たねえんだものな。それが諸悪の根源だよ」
 相手は矛先を変えた。もう10年も皆からそう言われ続けている僕は、確信犯的な無ケイ文化財だから、馬耳東風だ。
 星野役を辰巳琢郎、朱實夫人役をかとうかず子がやる。東京に出た朱實さんと周防大島の星野との、遠距離恋愛時代の手紙が2年間に300余通。そんな二人の心の通わせ方とその後の夫婦愛が、芝居の縦糸になる。時代は戦後の昭和、復興から繁栄への道のりが、星野の歌づくりの足跡と重なる。当然おなじみのヒット曲がいろんな趣向で出てくる。「浜っ子マドロス」「思い出さん今日は」「黄色いさくらんぼ」「涙を抱いた渡り鳥」「アンコ椿は恋の花」「自動車ショー歌」「叱らないで」「昔の名前で出ています」「風雪ながれ旅」「みだれ髪」…。
 「小節ってむずかしいわよね。なかなかうまく行かない」
 口調はボヤキだが、表情は楽しげな榛名由梨は、劇中で「恋は神代の昔から」を歌う。星野とは同郷の不動産屋夫人・春子役で、少しおせっかいな朱實応援団だ。
 「押してもだめなら引いてみな」の一部を歌うことになった高汐巴は、クラブのママ役。
 「どういう歌なんですか? 知ってるんでしょ、ちょっと歌ってみて下さいな」
 などと、僕に詰め寄ったりする。榛名も高汐も往年の宝塚のスターだが、気さくな人柄でけいこ場の雰囲気を明るくしている。実は4年前の平成19年5月に、大阪松竹座でやった「妻への詫び状・作詞家星野哲郎物語」で、僕はお二人さんとご一緒した。前年の明治座・川中美幸公演に続いて2度めの大舞台、緊張で手足ガクガクだった僕を、さりげなくいたわり、励ましてくれたありがたさは、まだ昨日のことのように覚えている。
 「ところで今度はお前さん、一体何をやるんだ?」
 と聞かれるころだろう。ものがものだから、レコーディングスタジオの景はあるし、夜な夜なの星野のネオン街暮らしも出てくる。その辺に出没するプロデューサーが僕の役どころで、原田礼輔さん、馬渕玄三さん、斉藤昇さんをごっちゃにモデルにしたみたい。名曲仕立て夫婦愛物語の、レコード業界代表と言ったらいいか。原田さんは興が乗るとスタジオで踊った伝説の人、馬渕さんはハンチングベレーで尻ポケットに競馬の予想紙だし、クラウン創立期の斉藤さんと星野の〝兄弟仁義〟話は、もう何度も原稿にした…。
 けいこ場で僕は、妙な体験をしていることに気づく。役者さんたちはそれぞれ、台本に書き込まれた役と気持ちも新たに取り組んでいる。そんな中で僕一人だけが、記者時代に見聞したあれこれを、芝居という形でなぞっているではないか。皆さんは白紙から芝居を組み立てて行くのに、僕だけが何だか〝再現ドラマ〟をやっている形。昭和38年に星野に初めて会い、以後望外の知遇を得て47年、もの書きの師と仰ぎ「良太郎!」と、呼び捨てでつき合ってもらえた年月が、こんなふうに僕の第二の人生にまで生きるとは!
 冒頭に書いた友人の、
 「星野先生ものか、それじゃしようがねえよな」 が、それやこれやで腑に落ちる。今回の公演で僕は何と「アドバイザー」なんて肩書きまで貰っているのだ。

週刊ミュージック・リポート