新歩道橋773回

2011年5月27日更新



 「星野哲郎さんのイメージは、圧倒的に海。だから今回のステージは、海と船を強調した造りにします」
 演出する菅原道則がニコニコと話す。名古屋御園座公演「恋文・星野哲郎物語」(6月2日~9日、13公演)について。商業演劇によくある舞台装置のつくり込みは、あえて避ける。背景は巨大な周防大島の海、舞台転換の目玉はこれも海を写した大きなパネルが2枚。その1枚が上手から出ている時は、芝居が下手側で進み、パネルの裏で次の景の準備が進む。もう1枚はその逆に作用、時に2枚とも消え、回り舞台が回る…。
 「面白いなあ、映像的な感覚のものになりそうです」
 「だからね、スピード感が大事になる。転換早め早め、夢のようなストーリーを明るく楽しく…」
 星野役の辰巳琢郎と菅原の会話。けいこ場での立ち話も、何だかスピーディーだ。辰巳は長身スマートな知性派、その優しげな口調、思慮深げな物腰が、次第に星野ふうな色になる。
 「ふだん着はどんな感じの人でした?」
 「眼鏡をかけるのはいつごろから? 資料の写真は両方あるけど…」
 「銀座じゃなくて、主に新宿ですか、どんな遊び方をしたのかなあ?」
 けいこの中で、具体的な星野のあれこれが欲しくなる。対応するのは星野家の長女・桜子さんのダンナの木下尊行君。小劇団を主宰していた時期もあるから打てば響いて、ネオン街の星野については僕がちょこちょこ。何しろ僕は役者兼アドバイザー(!)だ。
 星野の事務所〝紙の舟〟の岸佐智子がけいこ場に現れて、
 「すごい! かとうさんって、朱實さんそっくり」
 と感嘆の声をもらす。星野夫人の朱實さんは、人肌の良妻賢母型。星野を尊敬してしっかりと支え、居候沢山の家を切り盛りし、息子と娘に愛情を注ぎ、きっぱりとした人柄のどこかに、愛くるしさもあった。その温かさ、優しさとてきぱきとが、かとうかず子の演技で浮かび上がってくる。その物腰にほどほどの生活感をにじませるから、
 「ほう!」
 立ち合った日、星野家の長男・真澄氏は相好を崩した。その様子をさりげなく見ているのは、芝居で彼に扮する加納明…。
 けいこ場の一隅がにぎやかになる。ホステス役の渚あき、長井槙子らの笑い声に囲まれているのはモト冬樹とつまみ枝豆。面白おかしい世間話のやりとりが、みんなの気をそらさない。建設会社社員役の2人は、日本の戦後の復興を支えた庶民の代表。モトはヘボな投稿魔で、星野をライバル視し、つまみはそれを冷やかし続ける相棒だ。その2人の出番が来る。楽屋うちの面白さが、台本に書き込まれた面白おかしさに、すうっと移行していくあたりが妙だ。
 ほどのいい緊張感と親密さがないまぜになって、けいこ場の雰囲気には独特の味がある。それにうっとりしながら、出番待ちの僕はあれこれと思いをめぐらす。新聞社勤めは44年もやった。気のいい仲間に恵まれて、大ていのことは大声を挙げれば解決した。誰かが動き、形を作り、結果を出すのだ。音楽業界には今日まで、47年も長居をしている。いつの間にか相当な年長組!?で友人も多く、気がねのない暮らしが続く。
 《芝居をさせてもらっての最大の収穫は、もう一度、反省するココロを取り戻したことか…》
 秋には75才になるが、けいこ場から舞台へ、毎公演、己れの未熟、いたらなさに奥歯を噛みしめる日々がある。ああすればよかった、こうするべきか…の連続で、これがやがてマゾっぽい快感に変わる。何と幸せな老後か!
 19日の夜明け前、けいこ場の夢で目が覚めて、ベランダをのぞいた。眼下の湘南・葉山の海を照らしていたのは、十六夜の月である。その大きな光の帯が穏やかな波をちりばめて、僕の目の前から水平線へ一本の輝く道になっている。
 《海なあ、星野哲郎の世界なあ…》
 柄にもなく僕はしんみりする。前夜の酒が濃いめに、まだ残っているせいか――。

週刊ミュージック・リポート