新歩道橋779回

2011年7月29日更新


 
 「ちょうどいい歌がある。これに合わせて、さあ、歩行訓練!」
 介護士が永六輔氏を叱咤激励する。彼はパーキンソン氏病のリハビリ中なのだが、病院に居合わせた人々は、そんな二人から目をそらすそうな。
 「きっと、見てはならないものを見た気がしたんでしょうね」
 そう話しながら氏は、ヒッヒッヒ…と笑った。介護士が小声で歌うのは「上を向いて歩こう」で、それを作詞したのが、担当している患者とは気付かぬらしい。
 7月21日夕、原宿のレストランで開かれた、佐藤剛君の出版記念パーティ。その本が「上を向いて歩こう」で、永氏は発起人を代表して、そんな風変わりなあいさつをした。佐藤君は昔々岡野弁氏が創った「ミュージックラボ」という情報誌の編集にいた。僕は週1のコラムを持っていたから、そのころからのつき合い。それがやり手の音楽プロデューサーになっていて、近ごろあちこちで頻繁にでっくわす。例えば由紀さおりのアルバムづくり、岡林信康の美空ひばりトリビュート企画。記念会の前日は岩谷時子賞授賞式の会場で、坂本冬美の周辺…。
 ひところはザ・ブーム、宮沢和史、喜納昌吉&チャンプルーズなんかをプロデュースしていた。
 《ほほう、業界的なジャンル分けなど、あっさり飛び越す発想と行動力の持ち主になった。えらいもんだ…》
 こちらは長いこと演歌ドップリの日々だから、少し眩しく見えた友人だ。それが今度は物書きになって、しっかり精査した手応えの中村八大、永六輔、坂本九の〝ひとと仕事〟探検と文化論。それも「上を向いて歩こう」発売50年、SUKIYAKI50プロジェクトのスタートと、タイミング合わせも絶妙というあたりがニクイ。
 《しかし今日は、50年ものが続くなあ…》
 パーティを中座してNHKホールに移動すれば、こちらは畠山みどりの歌手生活50周年記念リサイタルである。昭和37年、この人は「恋は神代の昔から」でデビュー、高度経済成長期へ、芸能の天の岩戸を開いた巫女さんだった。
 ♪恋をしましょう、恋をして、浮いた浮いたで暮らしましょ…
 という星野哲郎の詞、市川昭介の曲は、とてもじゃないがそれどころではない働き蜂たちの心をゆすった。その上に、
 ♪やるぞみておれ、口には出さず、腹におさめた一途な夢を…
 の「出世街道」が、モーレツ社員の背中を押すサラリーマン軍歌になる。勇壮な個所よりも一抹の悲哀をにじませる部分が、大衆を酔わすのが軍歌の常。スポーツニッポン新聞の下っ端記者の僕は、
 ♪他人に好かれていい子になって、落ちて行くときゃ独りじゃないか…
 の三番の歌詞の方が、実感じんじんとココロに沁みた。
 《72才、あきれるくらいのパワーだ…》
 この人の売り物の衣装の引きぬき・早替えは、極彩色の和洋11ポーズ。2曲歌って次!…のペースで、二部構成の25曲プラス・アンコールと来る。その間、
 「南相馬から…。大変な時なのに来てもらって…」
 と、客と手を取り合わんばかりに東日本大震災に触れ、
 「飛行機とんだ? 台風がそれてよかったねえ」
 などと、鹿児島からのファンとのやり取りで台風6号をネタにする。早口でジョークを連発、祝儀袋をたもとにどっさり…の集金ぶりも受けた。
 ボイストレーナーの大本恭敬が感服するのは、高輪の自宅から彼の恵比寿のスタジオへ、もう17年間も歩いて通いつめる彼女の努力と粘り強さ。その効果はてきめんで、終演後帰路につく観客からは「よく声が出てる」の声がしきりだった。
 「上を向いて歩こう」の50年は、日本の音楽を世界規模の視点に広げ、畠山の50年は国内の世相との表裏一体を示した。いずれも昭和が生み育てた大きな成果だが、平成はそれをどう受け継ぎ、展開させているのか? 考えさせられる一日になった。

週刊ミュージック・リポート