新歩道橋781回

2011年8月12日更新



 「うむ、年に似ぬ声の艶… 」
 なんぞと、僕はしたり顔になる。8月3日午後のサウンドシティ、Bスタジオ。歌っているのは船村徹で、美空ひばりの詞に曲をつけた「花ひばり」という作品だ。演奏を指揮するのは、編曲を担当した船村の息子蔦将包、見守るのは、船村夫人の福田佳子さん、娘の渚子さんらに、ひばりの息子加藤和也氏と有香夫人。
 「歌い手さんなら、歌い込むほど声が出るんだが、こっちの場合は、だんだん(声が)なくなるからな…」
 誰に聞かせるでもない口調のジョークを残して、船村はマイクに向かう。歌手が歌手のうえに演奏と歌の同時録音だから、ミュージシャンたちは相当に緊張する。その音との間合いをはかりながら、二度ほどリハーサルがわりに歌い、本番はテイク1、テイク2の2回で、
 「ま、こんなもんかな」
 船村が笑顔で戻って来た。
 ?花は美しく散りゆくもの、人は儚く終わるもの…
 という歌い出しのひばりの詞は、だからこそ花も人もいとおしい…と訴える。おりにふれて書き止めた多数の詞やその断片から、船村が選び出した一編。無題の詞を、ずばり「花ひばり」と名づけたのも彼である。ひばりの23回忌法要は、6月20日、帝国ホテルで営まれた。それに先立ってNHKBSが放送した、ひばり特集番組で披露された作品だ。
 船村の歌声は、高音部に哀切感がにじむ。額の裏に当てて、響きを強めた声の張りと艶は、とても喜寿を越えた人のものとは思えない。中、低音部はノド許で声が揺れて、歌に滋味を生む。曲も歌唱もこの人特有の抒情性で、描き出されるのは諦観にも似た愛情の深さ、決して詠嘆に止まらない眼差しの高さ、去った人への追慕の情か。
 「ひばりさんを思い浮かべていたら、メロディーがどんどんむずかしくなってな。いかんいかん、これは俺が歌うんだと、自分にブレーキをかけて…」
 そんな思いで書いた曲を、
 「ふっと、彼女ならどう歌うかな…なんて、どうしても考えてしまう。あの人の真似なんか、できっこないのにな。雑念だね、これは…」
 などと思いながら歌った。
 ふつう歌手は、声と節で歌う。船村はそこのところを〝人〟や〝仁〟で歌う。
 《かなわねえよな、これには…》
 僕は歌手たちの側からそんなことを考える。歌うのか語るのかの域を越えた伝え方。達観から生まれそうな、表現者としての無欲の欲、枯れた風情の中に、脈々とする情熱、それやこれやの、発想がまるで違う作品との向き合い方、そのうえで、なお自分を研ぎすまそうとする船村流…。
 手際いいスタジオワークを、淡々とこなすのは宅間正純プロデューサー。
 「このごろ、よく働くなあ…」
 なんて、冷やかしかげんの声をかけたが、この人はひばりの「みだれ髪」レコーディングの時も、ディレクターの椅子に座っていた。あの時は星野哲郎もいたが今は、ひばりと一緒にあちらの世界。そう言えば…と、演奏と歌の同時録音に立ち合うのは、あの時以来のことに気がつく――。
 この日の午前、僕は青山葬儀所へ行き、田正夫人喜代子さんの霊前で焼香した。昨年6月に田の13回忌法要、12月には自身の90回めの誕生祝いパーティーを開いて、その生き方にけじめをつけた人の最期である。田学校の弟子を代表した橋幸夫は弔辞で「お見事な生涯」と語り、夫人が去った後に残る問題に突き当たって、三田明は無念の歯を噛みしめた。
 同じ日に、月刊カラオケONGAKUを主宰した颯爽社朝比奈暁美社長の葬儀が、戸塚の戸塚奉斎殿で行われた。62才、早過ぎたがこれも覚悟の死とも思えた。だんなの朝比奈健が亡くなって、僕の担当編集者が彼女に代わった不思議なつき合いが、長く続いた相手である。僕は1日の田夫人の仮通夜、2日の朝比奈の通夜に出席、3日は田夫人の棺を見送った。

週刊ミュージック・リポート