新歩道橋782回

2011年8月19日更新


「みんな集まります。行きませんか」
観劇の呼びかけFAXが入った。つまみ枝豆、渚あき、今井あずさ、谷絵利香なんて名が並んでいる。6月、名古屋御園座の「恋文・星野哲郎物語」を一緒にやった人たちだ。面白いものでけいこから本番まで、長い期間をともに過ごした面々とは、妙な肌合いの親近感が残る。
「よおしッ!」
と、万障繰り合わせて出かけたのが、8月8日の世田谷パブリックシアター。「恋文」で星野夫人の朱實さんをやった、かとうかず子が出ているためだが、ものは朗読劇「この子たちの夏~1945・ヒロシマ ナガサキ」である。到底お仲間気分で浮かれて…という訳にはいくまいが、ま、いいか!
かとうに島田歌穂、高橋礼恵、西山水木、根岸季衣、原日出子と、6人の女優さんが横一列に並ぶ。みんな質素なワンピースふうで、むぎわら帽子をかぶっている。それが捧げ持つ台本をかわるがわるに読む。広島や長崎で原爆を被爆した子供たちの〝その前後〟と〝その瞬間〟が生々しい。3000人を越える人々の手記や遺稿、詩を読み込んで、その言葉を生の型で生かしたという構成・演出は木村光一。
1985年から23年間、夏限定で767回も上演されてきた作品。それが4年の中断のあと、今回再スタートした。いわば阿鼻叫喚の地獄からの証言。兄弟姉妹や友だちの〝その時〟を語る子供たちの言葉は、幼い表現だが現実を直視してきびしい。数多い叫び声は「お母さ~ん!」で、それに応じる母親の言葉が続く。生き残った人々の手記には、絶望的な悲しみと、事の理不尽さへの怒りがこもる。詩人たちの言葉には、この事実を風化させまいとする祈りが熱い。
朗読する女優さんたちは、ほとんど観客に顔を向けない。表現も感情移入を極力避けて一字一句、被爆者たちの思いをそのまま、ストレートに伝えるように見える。観客もまた、余分な感情移入や、出演者への個人的なシンパシーは棚上げする。劇場で、この子たちの夏を一緒に過ごし、あの夏を追体験し、劇場を出てからそれぞれが、その意味や〝今〟や〝これから〟を考えるのが僕らの役割か――。
8月5日は世田谷・若林のスタジオARに居た。劇団レクラム舎創立35周年記念公演「プロローグは汽車の中」の客席。小松幹生作、高橋征男演出で11人の俳優が出演するが、申し訳ないが知り合いは一人もいない。たまたま創樹社の山川泉が思いもかけず制作を担当していて、
「来ません?」
と誘われたのがきっかけだが、ここでも突きつけられたのは原発問題だった。
北の町が原子力発電所の誘致について、住民投票前夜で大揺れしている。賛成派と反対派がにらみ合うが、実態は公私混同に私利私欲がからまって奇々怪々。おまけに、以前原発が隣町に出来た時の陰謀めいた話まで出て来た。町長、町会議長、町会議員に電力会社所長がもともと同級生だったりするから、個々の思惑はもつれにもつれて混沌…。
この作品も再演。1986年にチェルノブイリ、95年に阪神淡路大震災と高速増殖炉もんじゅの事故が起こって96年に初演された。15年後の今、フクシマ、あれから5カ月…。そんなタイミングでの上演だが、仕上げはユーモラスで、シニカルに悲しい。それが作、演出の小松・高橋のねらいらしいのだが、観た僕らが持ち帰るものは相当に重い。原発問答は今や、居酒屋や銭湯でも声高…と劇団主宰者鈴木一功がパンフレットに書く昨今。
知人や友人に誘われての、近ごろの僕の観劇は、そのせいで全く脈絡がない。ここかと思えばまたあちら、何でもアリの節操のなさだが、こういう2作品にぶつかるのも、この夏ならではのことか…。それやこれやを考えながら深夜帰宅したら、エイベックス・グループの稲垣博司氏から残暑見舞いの一葉。30年ぶりに富士山に登ったとかで「凄いパワーだ」と唸った文面の中ごろに「国の鎮魂と安寧を祈った」とあった。みんなが一様に、そういう思いでいる年なのだと、合点がいった。

週刊ミュージック・リポート
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