新歩道橋788回

2011年10月28日更新



 次の芝居のけいこに入った。10月17日から、都営新宿線森下駅近くの明治座スタジオ。座長の川中美幸以下懐かしい顔ぶれが揃う。明治座11月公演は「天空の夢・長崎お慶物語」(古田求脚本、華家三九郎演出)だが、これは3月にやったものの再演。というのも3・11の東日本大震災の影響で、日程が短縮されたが「せっかくのいいお芝居だもの…」という好評に背を押されて早々と決まった。1年以内に同じ劇場でのアンコール公演というのは、きわめて珍しいケースだとか。
 「お久しぶりでした」
 「その後お変わりもなく…」
 などと、口々のあいさつが何だか同窓会ふう。けいこ、本番と1カ月近くは一緒に暮らしたのだし、あの激震に劇場ででっくわした体験が、不思議な仲間意識につながる気配もある。僕にとってはそんな中での初めての再演。一度体になじんだセリフや動きが、7カ月のブランクのあと、もう一度僕の体に戻って来るのか、それとも新しく生まれるのか、まるで見当がつかない。
 「全くの新作と考えてやってもらいたい」
 とあいさつしたのは脚本家の古田求。
 「慣れは禁物。新鮮な感興をどう盛り込めるかが勝負です」
 笑顔で核心を突く発言は演出の華家三九郎。
 《それはそうだろうけど、具体的には一体、どういうことになるのか?》
 僕は共演の人々の顔を見回す。土田早苗、仲本工事、石本興司、紫とも、奈良富士子なんて面々が、にこやかにうなずいている。前回川中の相手役をやった田村亮がスケジュールが合わず勝野洋に代わり、ダブルキャストの子役2人は、この間に4㌢背丈が伸びた。大森うたえもんは相変わらず快活。友だちづき合いの綿引大介や丹羽貞仁は「また飲みましょう!」とでも言いたげ…。
 《こういうふうに、また非日常の日々に入っていくのか…》
 僕にそんな感慨があるのは、同じ10月の7日から10日までの4日間で6回、東宝現代劇75人の会の「水の行方・深川物語」(深川江戸資料館小ホール)公演に参加していたせい。この会のベテランで親交のある横澤祐一の作・演出だが、僕はまたびっくりするくらいのいい役を貰った。
 「こんな厚遇を受けていて、本当にいいの?」
 見に来てくれた友人が、心配するくらいに、一昨年の「浅草瓢箪池」昨年の「喜劇・隣人戦争」そして今回とたて続けに、望外のもうけ役に恵まれている。けいこもたっぷり1カ月以上やって、帰り道連夜のちょいと一杯では、ベテランたちの談論風発に触れた。老ビギナーの僕にとっては、目からウロコの見聞だらけの宝の山で、相当に濃密な日々だった。
 一公演終わると、正直なところ腑抜け状態になる。心身ともに消耗する非日常から日常へ戻る落差のせいだろうが、戻った歌社会だって尋常ではない。そのうえ僕は二つの公演の本番・けいこのすき間の6日間に、星野哲郎の一周忌法要、NHK坂本冬美特番のコメント撮り、ゆうせん昭和ちゃんねるの録音、帝劇「細雪」公演を見ての懇談会出席、おなじみ仲町会のゴルフコンペにまで参加した。これではもう、日常も非日常もごちゃごちゃ…。
 折から、歌社会は実りの秋である。歌手たちは思い思いの趣向で、この1年を総括するリサイタルやコンサートを開く。その多くのお招きに、申し訳ない不義理を重ねている。出欠を問うFAX用紙に、
 「欠席、長めの仕事につかまっております」
 などと書き込み、深夜に送信するたびに胸が痛んだ。
 《一体お前は、何者になり始めているのだ? こんなことでいいのか?》
 自問自答に溺れかかる中で僕がつかまる〝ワラ〟は、
 「最近は、安心して観ていられるぞ」
 「芝居が楽しくて仕方がないという熱さが、芝居の向こう側に感じられる。それが新鮮さのみなもとなのかも…」
 などの好意的な感想。ついに後期高齢者の仲間入りを果たしての二足のわらじは、奇妙な切なさが伴うものなのだ。

週刊ミュージック・リポート