新歩道橋797回

2012年2月11日更新


 
 「美しいものを美しいと感じ、まぶしいものをまぶしいと感じ、やさしいものをやさしいと感じ、豊という意味を問う時、地球は青さをとり戻す」
 阿久悠が1979年に書いた詩の一部だ。33年前に彼は当時を、人間性が失われていく時代と捉えていたのだろう。国際児童年だったこの年、この詩は「30年後の子どもたちへ贈る言葉」として書かれ、愛知県の地球博公園に埋められた。毎日新聞社と愛知県教育委員会が作ったそのタイムカプセルが、掘り起こされたのがそれからちょうど30年後の2009年――。
 「久しぶりにスタジオに入った。あの詩を合唱曲にしてレコーディングしたんです」
 オフィス・トゥーワンで働く友人アサクラが興奮を隠さずに伝えて来た。ビクターで制作部長までやった朝倉隆氏だが、雀百まで、現場に出ればやはり血が騒ぐのだろう。それにモノがモノである。日本の一つの時代を語る詩に、千住明が曲をつけ、NHK児童合唱団で合唱曲に仕立てた。
 「子どもたちの歌声がもう、純真無垢で…」
 と、これもまた感激のネタの一つになっている。
 《あれから33年、1979年って、どんな年だったっけ?》
 資料の年表を広げたら、まっ先に飛び込んで来た項目が米スリーマイル島の原発事故だ。東日本大震災、福島原発事故を被災したばかりだから、反応がひどく実感的になる。他に第二次石油ショック、インベーダー・ゲームのブーム、ウォークマン発売などがあり、この年の1月31日、江川卓が阪神に入団、即日巨人小林繁とトレードで、世論は沸騰した。
 レコード大賞は西城秀樹の「YOUNG MAN」にジュディ・オングの「魅せられて」が競り勝った。流行語が「エガワる」「天中殺」である。それやこれやを思い返すと、かなり騒然とした時代。そんな世相の中で、30年後の将来へ、阿久は彼の願いを伝えようとしたのか?
 阿久の作品年表にはこの年、八代亜紀の「舟唄」が登場する。事情があって次の「雨の慕情」も僕がプロデュースしたのだが、それで僕のタイムカプセルもふたが開く。「また逢う日まで」で一気に怪物ヒットメーカーに浮上した阿久に、あのころ僕は一時休筆をすすめた。70年代の10年間、彼は睡眠さえ4時間前後に削って働きづめ。当然、いろんな面に無理が来ている。
 しかし、僕の一年休筆案は、本人から半年に値切られた。
 「80年代の初めに、仕事をしていない僕は考えられない!」
 というのが彼の主張で「それもそうか」と僕は、スポニチに〝半年休筆〟を記事にした。「舟唄」は実は、僕の手許にあった彼の旧作だから、休筆中のレコーディングで「雨の慕情」は、新規発注したから、休筆明けの作品ということになる。
 阿久との親交を振り返りながら、彼が見ずじまいに逝ってしまったこの国の昨今を見回す。大震災は天災、原発事故は人災だろうが、この二つの洗礼を受けて再確認されたのが「絆」の一文字。僕らは一人々々が自助努力をし、お互いに助け合い、みんなで共生することを学んだ。そういう連帯の仕方を、取り戻したといっていい。政治や行政の無力に突き当たって、自分たちで出来ることを出来る範囲でやるしかない…と、思い直したことになろうか。
 「やさしい日差しが剣よりも鋭い時代」「詩が銃よりも強く、絵が火薬よりも激しく、言葉が弾よりも人を射る時代」が、すぐそこまで来ている…と、阿久はこの詩で語ってもいる。そう書きながら、何度も繰り返されているフレーズは「いつか、やがて」だ。この詩にこめられた思いは、阿久の詩人としての〝祈り〟だったろうと、僕は合点する。レコーディングに立ち合った阿久の息子、深田太郎氏は、涙ぐんでいたとこれもアサクラの話だ。
 出来上がったCDは、この2月、毎日新聞社が創刊140年を迎えるのを記念して、全国の小学校に配られる。「希望」を届けるというのがコンセプトだそうな。

週刊ミュージック・リポート