新歩道橋801回

2012年3月24日更新


  
 昔、レコード大賞の審査委員長を7年もやった。その間に渡した僕の名入りの表彰状が、
 「うちの2階にいっぱいある。一度見に来てよ」
 と川中美幸に呼ばれて、飲みに行ったことがある。一時盛んだったいろんな音楽祭の表彰状や、ヒット賞のトロフィー、記念品などが詰まっていて、その部屋は彼女の宝の山にみえた。
 《あそこに、今回のこれも飾られて、ひときわ光彩を放つことになるのか》
 3月5日夕、九段の如水会館で、僕はふっとそんなことを思った。彼女の明治座11月公演「天空の夢・長崎お慶物語」が芸術祭大衆芸能部門の大賞を受賞したお祝いの会。ステージ上手にその表彰状と、金ピカのトロフィーが鎮座していた。僕はこの芝居の共演者だから、わがことのように喜びながら、
 《しかし、これまでずい分多くのイベントに、賞を渡す側でかかわって来たが、貰う側に立ったのはこれが初めて…》
 そんなことも考える。人間いくら年をとっても、初めての体験ってものはある…と、改めて役者ぐらしに声をかけてくれた川中に感謝したものだ。
 出演者の一人としてはおこがましい言い方かも知れないが、いい芝居だったのだ。古田求の脚本、華家三九郎の演出がいい。エピソードつなぎで展開するストーリーのテンポ、スピード感が、映像畑の二人の特徴で小気味がいいくらい。それが大きなうねりを生み出す中に、いいセリフが随所にあって、2時間余の上演時間がアっという間だ。それに何よりも、川中扮する幕末・長崎の商人大浦屋お慶がぴったりのはまり役で、のびのび生き生き…である。
 「もしかすると〝当たり狂言〟って奴が生まれる、その瞬間に立ち合っているのかも知れない」
 と、僕は昨年11月、この欄の790回めに書いている。お慶の苦労人ぶりと川中のそれが巧まずして重なっていた。あの時代の女性の自立から大成までの、意志の強さと行動力、勝ち気と人情もろさ、人柄の優しさ、温かさが、ごく自然に表現されて、観客の共感を呼んだ。もともと3月に上演したものが、東日本大震災で日程短縮となり、11月は同じ劇場で再演という異例の措置。
 『頑張っていれば、必ずいいことがある…』
 被災地で多くの人々が口にした考え方が、そっくりそのまま当てはまるケースだった。
 会場には3月の田村亮、11月の勝野洋の両相手役をはじめ、土田早苗、仲本工事、石本興司、紫とも、奈良富士子らの共演陣が顔を揃えた。お仲間づきあいをさせて貰った伊吹謙太朗、丹羽貞仁、大森うたえもん、綿引大介、倉田英二、ダンサーの安田栄徳に石原身知子や茶摘み娘たち、女性ダンサー群、バンドの面々などがみな嬉しそうな笑顔を並べていた。受賞理由に川中の歌のうまさや絶妙のトークも含まれていた報告に歓声や嘆息がわく。ステージでは川中と母親久子さんが、いかにもいかにも…のやりとりで手を取り合って涙するシーンまでとび出す。会場はめいっぱい情が濃いめ、川中の会らしい雰囲気になった。
 主人公が川中だから、参会者は演劇畑と歌社会の人々がほぼ半々。僕は、
 「深くお辞儀をする方は芝居関係、軽めに会釈は長いつき合いの流行歌関係…」
 などと、お気軽なジョークを口走る。二つの世界を往復する日々は、しっかりスイッチを切り換えて…と心して暮らして6年めだが、双方が一堂に会するこういう集いは、相当にやりにくいものだった。
 受賞作品「天空の夢」は大阪・新歌舞伎座の再々演でこの夏、7月10日に初日を迎える。もちろん前回や前々回よりは、それなりのプラスを!と僕も心に期しているが、それまではしばらく歌社会ぐらし。手帳のスケジュールを睨み合わせて動くのだが、気づけば3月11日が名和治良プロデューサー、13日は小沢音楽事務所の小沢惇社長の命日。
 《俺の雄姿、見せたかったなあ》
 と僕は合掌した。彼らの分だけ、残された日々をしっかり生きる…と、約束した相手なのだ。

週刊ミュージック・リポート