新歩道橋802回

2012年4月3日更新


  
 《かえって、余分な気を遣わせてしまったか…》
 ウェッジウッドのマグカップを前に、そんなふうに思った。送り主は久世光彦氏の夫人朋子さん。3月2日に、六本木のスイートベイジル139で開いた久世さんを偲ぶ会で、世話人をつとめたことへのお礼だと言う。あれは久世さんの祥月命日、月日は足早に過ぎてもう七回忌だ。
 「久世が逝ってしまってからの私は、この日のために歩いて来たような、そんな思いがして来ます」
 と、後に夫人が述懐した会は、小泉今日子が朗読とトークをやり、島根県在住のまま活動する浜田真理子がピアノの弾き語りをやった。久世さんが文芸春秋から上梓したエッセイ「マイ・ラスト・ソング」をもとに、彼が愛した歌のいくつかと、それに対する思いが語られる。参会者はほぼ300。出版界や音楽界の、親交のあった人々が粛然と耳を傾けた。
 ウェッジウッドのマグカップは、生前に久世さんが愛用したそうで、ほうじ茶でもコーヒーでも、これを用いたそうな。ややシニカルな微笑で口の端を崩しながら、書斎のテーブルに向かう彼のたたずまいが見えそうな品だ。
 《それでは…》
 と僕も、この間佐伯一郎に貰ったうす茶あられなどを飲んでみたが、了見も甘めのせいか、久世さんの文人ふうには収まれるはずもない。
 偲ぶ会の当日「港が見える丘」では、酔うとしばしばこれを歌った上村一夫の話が出て来た。歌詞の、
 ♪ちらりほらりと花びら、あなたとあたしに降りかかる…
 の「あなた」を「あんた」「あたし」を「あたい」に置き換えたのが上村流。僕も何度かそんな場面に居合わせたので、回想はあらぬ方向へひろがったものだ。
 久世さんは「人が最期に一曲だけ、聴きたい歌を選ぶとしたら、どんなものになるだろう?」ということにこだわった。あれか?これか?と、彼が手探りした作品のうち、偲ぶ会でとりあげられたのは「みんな夢の中」や「プカプカ」や「海ゆかば」など。「へえ!」と聞き直せば、浜口庫之助作詞作曲の「みんな夢の中」の歌の文句は、相当に意味深なことに改めて気づく。「プカプカ」では西岡恭蔵を思い出し「海ゆかば」は、太平洋戦争末期にラジオから流れたものとは、まるで違う手触りの歌になっていて、時代の変化に驚かされた。昔は〝歌詞〟などというしゃれた言い方ではなく、泣けるくらいにいいのに出っくわすと、その〝歌の文句〟に酔ったものだというのも、久世さんの持論だった。
 楽屋でずいぶん久しぶりの小泉今日子に、葉山に住む者同士のあいさつをした。海のそばでいい空気を吸って…と引っ越ししたのに、急に忙しくなってせっせと東京へ通っている…と、現況がよく似ているので笑った。もっとも彼女は特異なキャラクターと熟した魅力でひっぱりだこの人。僕の忙しさなどとは比べるべくもないが…。もう一人、ずいぶん久しぶりだったのが内田裕也で、
 「その辺で一杯やろうよ」
 と、会の終了と同時に向かい側の飲み屋へくり出した。それからあとは昔どおりに午前さまたちの飲み会で、世話人として果たすべき役割は放棄したままである。
 「申し訳なかったよな…」
 などと、猫の風(ふう)ちゃん相手にひとりごちながら、うす茶あられをもう一杯。ベランダの向こうには、対岸の空にまっ白な富士山が浮かんでいる。その裾野あたりには箱根や伊豆の山々が並んでいるはずなのだが、春の霞にぼやけたまま。その手前、眼前の海200メートルほど先には、黄色の釣り船が一隻、釣り人2人が、忙しそうに竿を上げ下げしている。ものが何かまでは判らないが、どうやら入れ食いの賑やかさだ。
 3月22日、突然気温が17度に上がった昼過ぎ、久しぶりに生まれた役者兼雑文屋の忙中閑である。いつも通りに留守を承知で電話をかけて来た友人の何人かは、僕のナマの対応に、一様にギョッとした気配だった。

週刊ミュージック・リポート