新歩道橋805回

2012年4月28日更新


  
 例年になく、この春は二度も桜を観た。といっても酔客で賑わうことのない場所で、ごく自然に咲き誇っている奴だから、何だかしみじみと心洗われるような気分。
 《俺にも、こんな素直さがまだ、残っていたのか》
 と、少々くすぐったい思いもした。
 まず4月4日の世田谷・九品仏、浄真寺がその現場。前夜、留守電に、
 「菊田一夫先生の墓参をします。来ませんか?」
 の連絡を受けて、そそくさと出かけた。門前に集まっていたのは、東宝現代劇75人の会の面々。僕は昨年の暮れ、この会の総会で正式劇団員と認められた。ホヤホヤの新入りだから、取りものも取りあえず…のかっこうになる。
 《おそらくは、相当な名刹!》
 などと合点する。松並木の参道からしてもうそれらしい雰囲気、ひとりでに粛然となる妙があった。仁王門をくぐり、いくつかの仏像の微笑と対面しながら小道を辿る。本堂左手奥に菊田の墓はあった。「瀟洒な」というのが、墓所の表現にふさわしいかどうか迷うが、それが第一印象だったことは確かだ。
 面識はなかった人である。強いて言えば昔々、美空ひばりが出る出ないでもめたミュージカル「津軽めらしこ」騒動の時に、取材記者として追いかけたことがある程度。それが3年前に、75人の会の菊田作品「浅草瓢箪池」公演に参加、そこから縁が出来た。演出した横澤祐一は、6年前の僕の初舞台、川中美幸明治座公演で一緒になり、以後いろいろと教えを乞う親交が続く。
 この人が東宝現代劇75人の会のベテラン俳優で、そもそもその劇団を作ったのが菊田。僕はと言えば「喜劇・隣人戦争」「水の行く方・深川物語」と毎年その公演に出してもらい、ついに劇団員採用、この秋にやる菊田作品「非常警戒」にも参加出来そう…。
 《縁の糸って、不思議なつながり方をする…》
 そんな感慨こみで見上げたのが浄真寺、菊田墓前の青空。それを彩るように咲き競っていたのが八分咲きの桜だった。
 お次が4月9日、相模カンツリー倶楽部の桜。昨年は東日本大震災があって自粛した集英社のコンペに招かれてのことだ。長い不況でここ何年か、あちこちのゴルフコンペが中止になっている中で、踏ん張っているのが集英社。僕は昭和30年代の後半から、明星の付録の歌本に、新曲についてのコメントを書かせて貰った。そのころから親しかった編集者たちは、あらかた卒業してしまったが、顔見知りが何人か、変わらずに呼んでくれている。
 一緒にプレーしたエイベックス顧問の稲垣博司氏は長いことこのコラムを読んでいてくれる一人。
 「よくゴルフの話が出て来るけど、スコアについての記述がないのは、どうした訳でしょうね」
 と、痛いところを衝いて来る。
 名門コースで右往左往する僕を見ながらだから、見当はつくだろうに。ゴルフという奴、70才あたりからじりじりと下降線を辿っているのだ。第2打を先に打つのは必ず僕…というくらいに、ドライバーが飛距離減、アイアンは芯をはずすことが増えたから、ウッドの3、5、7、9を揃えるなど、道具に頼り、パターは眼しょぼで、グリーンののぼり下りが逆に見えたりする。
 集英社コンペの、僕のハンディは昔から「18」で、20年ほど前には毎回、今度こそベスト10入り…の励みになった。ところが昨今は、
 「ま、一応の目安だからこだわらないで…」
 と、僕を突き放す数字に見えてくる。そこでひるむ僕は、ゴルフはとことん、自分自身との闘いだ…と、改めて覚悟のホゾを決めるのだが…。
 「元気で、参加できることが何よりですよ、ははは…」
 サンミュージック顧問の福田時雄さんに励まされれば、胸がグッとつまったりする。ラウンド中、コースのあちこちで見かけた桜は、
 「平常心、平常心!」
 と、僕を諭しているように穏やかだった。

週刊ミュージック・リポート