新歩道橋806回

2012年5月5日更新


  
 「元気をもらった」とか「勇気をもらった」とかの発言をしょっ中聞く。最初は《そんな表現もあるか》と耳新しさを感じたが、それが常套句になり、手垢がついて来た昨今では、気分が少々すべる。「元気」や「勇気」や「やる気」というものは、他人とやりとりする代物ではないせいだ。
 3・11以後、それに加えて「元気を与えたい」とか「感動を与えたい」とかが、常套句になった。こちらには大いにひっかかる。「与える」には見下ろし視線のニュアンスがあるせいで、これは「届けたい」が正解だろう。そんな謙虚さは不要と思われているのではなかろうが、不用意、無神経の結果だと寂しい。そんな僕が年寄りの繰り言を反芻したのは、4月23日夜の渋谷公会堂、あさみちゆきのコンサートを見ながらのこと。
 ステージ上のあさみと、客席の紳士たちとの心の通わせ方が、実に独特で緊密なのだ。それは彼女が井の頭公園で歌いはじめた時、それを取り囲んだ人々との交流が、長い年月、ふくらみながら、きちんと維持されているせいではないか。きっと「元気」や「勇気」や「やる気」のやり取りがあったはずなのだが、双方それを口にしない。元来、相手から刺激を受け「ようし!」とその気になった思いは胸の裡、言わず語らずというのが、おとなの対応だろう。
 ふだん着のつき合いの程のよさがある。もともとあさみは、絶世の…がつくほどの美女ではないし、ふるいつきたくなるグラマーでもない。他を圧する美声の持ち主でもないし、びっくりするような歌唱技術を持つ人でもない。それでも井の頭紳士たちが熱くなるのは、そんな〝ふつうの娘〟(に見える)が、一生懸命、誠意に満ちて歌う〝いじらしさ〟や〝いとおしさ〟がたまらないのだろう。
 この人の美点は、温かく、時に愁いをにじませて、歌の心を率直に伝えることが出来ること。彼女のために「青春のたまり場」や「聖橋で」など、アルバム一枚分を書いた阿久悠が生前、
 「手紙を届けるように歌って欲しい」
 と言ったそうな。うまいことを言ったものだと、今更ながら感じ入るが、それが出来ることが彼女の資質と独自性であることを、彼は見抜いていたのだろう。
 刺激的なものごとがもてはやされる昨今では、彼女のそういう魅力は目立ちにくい。そこで制作陣が彼女のもう一つの武器にしたのが言葉、作品力だろう。デビュー当初の「紙ふうせん」や「井の頭線」新曲の「新橋二丁目七番地」などを書いた田久保真見、前出の阿久悠、「砂漠の子守唄」や「港のカラス」の高田ひろお「鮨屋で」の井上千穂らの詞が、ユニークな設定や表現で、あさみの声が伝えるかっこうの〝文面〟を作っている。
 歌手生活10年を記念、デビューと同じ月と日に開いた彼女のコンサートは、詞を軸にした構成で、そんな彼女の特異性や育ち方をはっきりさせた。会場からはしばしば濁声が飛んだが、内容は思い思いの賛辞や感想などで、演歌歌手相手の掛け声とは趣きを異にした。ジーンズにシャツブラウスの、いつものいでたちから、二部の頭で裾長のドレスに変わった彼女に、紳士たちは一瞬息をのみ、その中の一人が、
 「裾を踏むなよ」
 と声をかける。本人が
 「気をつけます」
 と応じるといったあんばいだ。
 ファンの大多数が〝定年おじさん〟に見える。多くがベースボールキャップをかぶり、あさみに促されれば歌声に合わせて、うれしそうに手を振るのが、まるで林が揺れるよう。歌の内容の多くが、失ったものへの回想や悔恨、哀愁、失いつつあるものの予感を漂わせるのも、紳士たちの琴線に触れるのかも知れない。
 改めて思うのだが「元気」「勇気」「やる気」などは個人的な自助努力のキイワードで、それぞれが心のバネにするもの。それが言葉のキャッチボールのネタになると、軽くなり安直すぎて嘘っぽさに閉口するのだ。

週刊ミュージック・リポート