新歩道橋812回

2012年7月10日更新


  
 そうか、浅草もいいな。仕事が済んだあと誰かと一緒なら、飯田屋のどじょう。群れをはぐれて一人なら、神谷バーって手もある。うまく行けば常連の深見さんと会えるかも知れない。スポニチ時代の先輩の懐旧談につきあうのも悪くはない…。
 ――と、まあ、そんな気分でふらりと葉山を出たのである。梅雨の合い間のうす曇り、湘南から浅草…の距離や時間もさして気にならない。6月21日、目指した先は昭和歌謡・コシダカシアター。これにもちょっとひっかかった。誰かに聞いた気がする会場名。浅草で「昭和歌謡」という組み合わせが、いかにもいかにもだ。不勉強で誠に申し訳ないが、イベントの主〝サエラ〟に関しては、完全に白紙だった。テイチクから来た案内状にある「50歳を越えてからのメジャーデビュー」「出身地津軽の方言」に「ん?」となった程度。
 少し遅れて会場入りしたら、サエラは「十三の砂山」を歌っていた。席に案内されながら、その歌声に
 「いい声だなあ。温かくて、響きに親しみやすさがある」
 などと反応する。
 「へえ、おばさん二人のユニットなんだ。ボーカルとピアノ。歌っているのが菊地由利子か。面長、色白、眼が少しはなれていて、大きめの口にアゴが長め。ショートヘアでトークは気さくな53才…」
 なんて、視線が品定めっぽくなるのは老年のいやらしさか。相棒の高橋朋子は57才で作、編曲と演奏を担当する。丸顔、髪はセミロングのふっくらタイプで、笑う眼尻が二人ともよく似ている。青森・五所川原のママさんコーラス出身…と、この辺はステージと宣材とを見較べながらの、情報インプットって奴だ。
 「ほほう!」
 になったのは、6月発売のシングル「セバマダノ~風の恋文~」を聞いてのこと。
 ♪ねえ、青い空ははてしない、そう風の森よ…
 と、歌い出しから歌声が確かに、風みたいに空へ突き抜けていく気配を作った。しっかりと腰を据え、芯を太めにした民謡寄りの発声が、まるで民謡っぽくなどないメロディーを辿っていく。菊地の声味に、クラシック系の高橋の作曲を組み合わせて、清潔さと成熟のほど良い混合、言ってみればこれは〝津軽産直歌曲〟って趣き。
 《うん、ここでも田久保真見か。彼女らしいいい仕事をしてるな…》
 という感想は胸の裡になる。
 ♪ひらひらと手を振った、微笑みはとめどない涙のかわり…
 というフレーズに、
 ♪さよならは哀しみを、おもいでにかえる、やさしい言の葉…
 なんてフレーズを重ね合わせて、女性の失意に透明感を与えた筆致がみずみずしい。
 タイトルの「セバマダノ」は津軽弁で「じゃあまたね」の意だそうな。「セバ」が「それじゃ」で「マダノ」が「またね」だという津軽弁講座もあった。8曲ほど歌ったライブショー形式、菊地のMCが6カ所はさまったが、これもなかなかのもの。自分たちの生い立ちから、今回のメジャー展開までや、作品の狙いと成り立ち、出演中のテレビやラジオでの反響、今後の演奏活動のコンセプトやスケジュールなど、1カ所のダフリもなく整然と、その割に普段着口調、ユーモアもまじえた親しみやすさでやってのけたものだ。
 デュオを結成して19年、歌謡曲、童謡、民謡など、日本の〝いい歌〟をはじから歌って来た。ジャンルにこだわらないのがこだわりという姿勢を、
 「二人とも、そういういい歌が沢山あった時代に育ったせいだと思う」
 と、あっさり言うから、こちらは
 「ふむ」
 になる。ジャンルが細分化して歌のそれぞれが、やせて来ている今日だからこそ、彼女たちの出番が来たと言うべきなのか。
 よくあるこの種コンベンションは、主人公が新人で、以後ああもしたい、こうもしては…の欲が残るが、サエラの場合はすでに完成品の強味があった。
 《何事にもよらず、予断予測は禁物だよな》
 雑文屋の心得を改めて突きつけられた心地で、帰途神谷バーへ寄った。あいにく深見先輩の姿はなかった。

週刊ミュージック・リポート