新歩道橋815回

2012年8月15日更新


  
 「えっ、嘘だろ! これがそうなの? へえ、そんなのありかねえ」
 大阪・新歌舞伎座の楽屋通路で、突然、そんな会話が交わされた。若手役者たちが手にして、しげしげと見入っていたのは、かなり大きな餡パンで、ケータリングの机に沢山並ぶ。
 「平野文部科学大臣からです」
 添えられた但し書きに、みんなが「ン?」になった一幕――。
 早速試食!?する。ほどの良い甘さの餡、ふっくらとした食感のパンがなかなかで、一個食べれば相当に腹もちしそうなところが、腹っぺらしの若手向きに思える。
 《そうか、あれが縁になっての差し入れか!》
 僕は楽屋で合点する。7月、上演中だったのは川中美幸の「天空の夢・長崎お慶物語」、昨年11月の明治座公演で、文化庁芸術祭の大衆芸能部門大賞を受賞した演目だ。文化庁は文部科学省の関連組織だし、平野博文大臣と川中は同じ大阪出身で以前、ゴルフをやったことがあるとも聞いた。
 「何にしろ、オカミが商業演劇に関心を持つのは、いいことですわな」
 僕が冗談めかすのへ、
 「こんな時期だから、ことさらにね」
 相部屋の江口直彌が真顔で相づちを打つ。東西で大劇場の撤退が相次ぎ、俳優たちの仕事がどんどん減っている。新歌舞伎座も天王寺・上本町へ引っ越して2年、ミナミに威容を誇ったもとの新歌舞伎座は、ブライダル業者が買い取って、外観はあのまま使いそうだと噂されている。江口は松竹新喜劇所属のベテラン。僕は今回が初対面だが、着物の着付けやあしらい方、所作のあれこれなどいろいろと教えてもらった。
 商業演劇は、ジャニーズ系など一部を除いて、ずっと右肩下がり。劇場も作、演出家も、主演スター以下の俳優陣も、誰も儲かっていない構造的不況の中にいると言う。バイプレーヤー陣は老いも若きも、芝居の仕事がない時はアルバイトで生活を支え、それが当たり前になっている。文化もいろいろあるが大衆的演劇も含めて、国がそこそこの支援をして、振興を図るのが先進国のありよう。ところが日本は、どこぞの市長がその典型だが、財政建て直しをお題目に、なけなしの助成金を削りまくるばかりだ。
 それでもみんなが頑張るのは、見果てぬ夢を追いながら、困窮生活が常態化、諦め気分が先に立つせい。そこへ突然「大臣の餡パン」である。権力におもねる気など毛頭ないが、決して悪い気はしない。オカミの目がこちらへ向いたか…と、ワラをもつかむ気持ちが刺激されているのだ。
 《そう言えば…》
 と、思い出したことがある。平野大臣が以前出版した「日本再生への緊急提言・平成ニューディール」という本の「はじめに」の書き出しだが、
 「くもりガラスを手で拭いて、あなた明日が見えますか。つくしてもつくしても、春はいつ来るのか…。人々は今、そんな気持ちの日々を送っている」
 とあった。ご存知「さざんかの宿」の歌い出しのフレーズである。作詞した吉岡治もびっくりしたろうが、政治家が政策論をぶち上げるマクラに流行歌である。読者を引き込むためのテクニックか、もともと演歌・歌謡曲にも関心を持って来た蓄積が、ひょいと顔を出してのことか?
 最近、ジャスラックの都倉俊一会長らと話し合いを持ったとも聞く。文化振興、グローバル時代の音楽の傾向や対策、著作権関連の諸問題、とりわけ〝戦時加算〟についてなど、国政のテーブルに乗せるべきテーマは山ほどある時期である。政情も世情も混とんとして、みんなの不安ばかりが揺れる近ごろだが、それやこれやに流されずに、やるべきことはきちんとやって積み重ねていくことも大事だろう。
 猛暑の中の「餡パンからさざんかの宿」までの小噺の一席。誤解を生じないために書けば僕も現政権の右往左往にうんざりしていて、応援している訳では決してない。

週刊ミュージック・リポート