新歩道橋817回

2012年9月1日更新


  
 「ふう、お前(め)なにをごしゃてるなだ!」
 鼻濁音多めの秋田弁に、愛猫の風(ふう)は、きょとんとした目つきになる。つれあいが出かけたあとの、葉山の僕んちの午前。僕がよく芝居のせりふの練習をやる時間帯で、ふうは独特の相づちを打つのが常。主人が何やら一生懸命だから、多少のおつき合いはしないと…という、心づもりか鳴き声でからむ。ところが今回の秋田弁は理解の域を超えるらしく、ニャアとも言わない。
 「ごしゃてる」は「怒っている」の意。9月末の27、28、29、30日の4日間昼夜2回ずつ8回、深川江戸資料館小劇場(江東区白河)でやる東宝現代劇75人の会公演の「非常警戒」(作菊田一夫、演出丸山博一)のせりふの一部だ。僕がやる旅館のおやじのひと言に、おあきというお手伝いさんがプンプンするところで出てくる。このおやじ、なかなかの好き者で、女房に感づかれながらも居直って、そのお手伝いさんともねんごろになっている。
 「何しろ、女房が2人で、手をつけた若い女が2人、夢みでえな話になってるだす。モテでモテで、すがだねえくれえで…」
 飲み屋でオダをあげる都度、僕の口調はどうしても東北調になる。女房が2人…はおだやかでないが、実はおかねさん役がダブルキャストで、鈴木雅、村田美佐子のベテラン2人。お手伝いさん(昭和20年代の話だから、劇中では女中だが…)も、田嶋佳子、松村朋子と、若手女優のダブルキャストで、合計4人の勘定だ。ある日ゴルフ場でも終止秋田弁を通したら、一緒にプレーした作曲家の藤竜之介が、
 「後生だからモトへ戻って下さい。調子が狂っちまって、どうにもならない」
 と、音をあげたものだ。
 手がける女性の人数にうきうきするのは、この年になるまで僕は、公私ともにこんな僥倖に恵まれたことがないせい。しかし、そのために今回の公演が好色ばなしなどと早合点されては大いに困る。昭和22年、秋田のとある停車場近くの旅館が舞台。豪雪で4日間も列車が止まり、とじこめられていた人々の人間模様が展開される。そですり合う人情、からむ男女の仇情け…。ところが、宿泊客の中に、逃走中の凶悪犯がまぎれ込んでいるという騒ぎから、突然おはなしがサスペンス劇に緊迫する…。
 当然のことながら、前出の女優4人に僕、それに地元署の刑事(大石剛)とその子、駅員(富田正範)が秋田弁。宿泊客役の今藤乃里夫、柳谷慶寿、松川清、秋田宏と、竹内幸子・菅野園子、高橋志麻子・古川けいのダブルキャスト2組は標準語である。読み合わせは8月18日から豊島区要町のけいこ場で始まったが、当初そこには2カ国語が飛び交うみたいな混雑!?が出現した。
 「大変だねえ、せりふの数も多いし…」
 などと、慰めてくれていた今藤の語尾が、突然訛ったりするからオカシイ。
 秋田弁のお手本は、演出の丸山博一が秋田出身であるから、由緒!?正しい訛り方を、CDに吹き込んでくれた。僕はそれをCDウォークマンで聞く。逗子―池袋間の車中で、スピードラーニング状態になる訳だが、正調秋田弁はテンポやや遅め、鼻濁音が何だか穏やかで響きがいいせいか、途中、いつの間にか熟睡してしまう。一幕四場の芝居で、僕は一場から大忙しだが、肝心のサスペンス劇盛り上がりあたりは、ゆらりゆらりと夢の中だ。
 「真夏と真冬は、芝居三昧に限る」
 といういい方が演劇の世界にあると聞いた。
 《なるほどなあ》
 と合点が行ったのは、7月を新歌舞伎座・川中美幸公演で暮らしたせい。朝、楽屋入りして夜まで冷房完備、そのあとは飲み屋だから、全くの暑さ知らずだった。ところが葉山へ戻った8月、僕の今年の夏が突然始まった。汗みずくのひと月、そして9月も、ひでりの道をとぼとぼと、けいこ場通いである。
 「言ってもすがだねえけど、毎日、暑いなァ…」
 愛猫風(ふう)相手に、猛暑の愚痴も秋田弁の日々だが、敵さんは異国語でも聞くみたいに海を見ている。猫のくせに馬耳東風である。

週刊ミュージック・リポート