新歩道橋819回

2012年9月14日更新


  
 いきなり「帰れないんだよ」である。それも渋い声味と節回しで、感情移入もなかなかだ。虚を衝かれた思いで僕は、マイクを握る紳士を見詰める。ちあきなおみが歌った知る人ぞ知る名曲。玄人好みのやつだから、
 《何でまたあなたが、これを!》
 と思いながら、二番、三番…。気がつけば僕も、その歌の世界にどっぷりとつかっている。
 久しぶりのカラオケである。東宝現代劇75人の会公演「非常警戒」(9月27日~30日の昼夜、深川江戸資料館小劇場)のけいこ帰り。
 「たまにはいいじゃないか、気分転換だよ」
 と、誘われて飛び込んだのが池袋駅西口そばの店。歌う紳士は今公演を演出する丸山博一で、超50年の芸歴の持ち主。東宝現代劇の1期生で、芝居のココロも技も山盛りの上に、温和だ。
 《また、星野哲郎かよ》
 僕の感想は妙な方向へずれ込む。そりゃあ彼の紙舟忌・3回忌の集い(10月19日夜、大手町パレスホテル)の集いの案内状に、
 「巷には日々、星野先生の作品が流れ、止まることを知りません」
 と書くことは書いた。しかし、こんな状況で突然、こんな曲に出っくわすとは夢にも思わなかった。
 もう10年以上前のことだが、神野美伽が渋谷公会堂で、この曲を歌ったことがある。隣りの席にいた星野に、
 「どうです?」
 と尋ねたら、
 「死んだ子が、生き返ったみたいだよ」
 と、笑顔の眼をしばたたかせたものだ。
 この作品は津軽ひろ子という歌手が創唱したが埋もれたまま。それをちあきがテンポも寸法もがらりと変えて新しい生命を吹き込んだ。最近は役者の沢竜二も吹き込むなど、いろんな歌手がカバー、巷の好事家が歌いついでいる。
 ♪秋田へ帰る汽車賃が、あればひと月生きられる…
 星野の若き日の遠距離恋愛実感ソングである。相思相愛の朱實夫人を、彼はそのころ故郷の山口・周防大島においてけぼりにしていた。さすがにテレたのか、場所が秋田に置きかえられている。作曲は三島大輔で、当時新潟のキャバレーのピアノ弾きだったのが、本名の臼井孝次で書いている。
 ♪今日も屋台の焼きそばを、俺におごってくれた奴…
 という個所が三番にある。
 モデルは作詞家仲間の八反ふじをで、赤貧の星野に彼がごちそう出来た訳は、サンドイッチマンのバイトをしていたからだそうな。
 「何とも切ない歌だよねえ…」
 我に返れば池袋のカラオケ店。マイクを置いた丸山の髭づらがしみじみする。芝居の「非常警戒」は、亡くなった菊田一夫の旧作で、秋田の駅前旅館を舞台にした人間模様のあれこれ。旅館の主の僕は秋田弁のセリフに四苦八苦しているが、その方言指導は丸山が担当、彼は生粋の秋田っこである。彼の故郷が秋田なら、歌の故郷も秋田。僕より少し年上だから、戦後上京した修業時代には、同じような貧しさを体験してもいよう。
 歌ひとつで、星野哲郎の往時と丸山博一の往時が重なった。
 《これが流行歌の妙って奴かも知れない》
 と、便乗するみたいに僕も、食えなかったスポニチのボーヤ時代の往時をダブらせてしまう。芝居けいこの気分転換が、思わぬ昭和回想の一幕になって、その後の僕は往時の歌の数珠つなぎだ。歌いはじめると止まらなくなるのが、良くない癖だ。
 「それではこの辺で僕も、演歌を」
 と、如才なくマイクをとったのは、制作担当で演出補でもある那須いたる。さてどんな曲か…と正対する気分になるのは、長いはやり歌雑文屋の僕の習性。飛び出したのがこれまた、知る人ぞ知る香田晋の「雨じゃんじゃん」である。昔、船村徹と阿久悠が初顔合わせをしたが、ひどく難産だった裏話がある。
 《だめだ、これは…》
 それをしゃべり始めたら、僕が乗るべき湘南新宿ラインがなくなってしまう! それやこれやの一部始終を、マドンナの微笑で見守ったのは、制作の仲手川由美で、那須もこの人も、もともとは75人の会の俳優さんである。

週刊ミュージック・リポート