新歩道橋821回

2012年10月9日更新


  
 初日が開いた。また芝居の話で恐縮だが、初日だからと言って、特段の緊張はないし、上がりもしない。自然体(のつもり)で、ズイと出て、秋田弁でしゃべる。幕開き冒頭のシーンだから、僕の長ゼリフまじりが、芝居そのものの空気を決めかねない。ここでトチったりしたら、以後に影響大だから、責任は重大だ。9月27日午後3時、深川江戸資料館小劇場での東宝現代劇75人の会公演は「非常警戒」(作菊田一夫、演出丸山博一)すっかり秋めいて爽やかな木曜日。知り合いが昼夜で20人以上観に来ているが、それすらもさして気にはかけない――。
 ほぼ出ずっぱりである。秋田のとある田舎町の駅裏旅館が舞台。豪雪で鉄道が止まって4日間。泊まり合わせた客の人間模様からお話が始まる。僕の役はその旅館〝喜久屋〟の主・彦治。カミサンのおかね(ダブルキャストで鈴木雅、村田美佐子)と女中おあき(同、松村朋子、田嶋佳子)との、いわば妻妾同居という好き者だ。それが人間関係のあれこれ、狂言回しふうに話を進める役どころで、宿泊客に強盗殺人の犯人がまぎれ込んでいたことから、お芝居は突然サスペンスものに展開する。初日の昼夜2回、一見難なく仕事をこなしたように、観客からは見えたはずだ。ところが、
 「野崎さんは、子ぼんのうだというから…」
 というセリフの〝野崎〟が出てこない。一瞬つまって、
 「あんたは、子ぼんのうだと言うから…」」  と窮余の一策。〝野崎〟を〝あんた〟にすり替えて、ホッと一息つくから、その後のセリフがバタバタになる。
 そんな〝ほころび〟が何個所か、それでも演出家に大目に見てもらっての初日である。
 《俺だってこの仕事、もう6年もやってるんだから…》
 と、内心は意気がりながら、正直なところやっぱり、冷や汗の量は相当なものだ。
 「菊田先生がね、ある日、たかが芝居じゃないかって言うのよ。あのうるさ型がさ」
 けいこも大詰めの夜、飲み屋で演出の丸山が言う。
 「されど芝居!なんでしょ。そのココロは!」
 僕が口返答をするのは、緊張をほぐしてくれる相手の気持ちを、痛いほど感じてのことだ。東宝現代劇はその菊田一夫のお声がかりで出来た由緒ある劇団。そのメンバーの有志75人が集まったのが75人の会で、当然のことながら名うての芸達者、ベテラン揃いだ。僕はこの会の公演に3年連続、客演という形で呼んでもらった。「浅草瓢箪池」「喜劇・隣人戦争」「水の行く方・深川物語」の順で、年1回、滅法いい役の連続である。毎回1カ月以上、じっくりけいこをやるから、僕にとっては有難い役者道場で、僥倖みたいに昨年末から正式会員に認められた。従って老新入りとしては気合いの入り方ひとかたではない。
 縁結びはこの劇団の重鎮の一人・横澤祐一である。6年前、川中美幸明治座公演の僕の初舞台が初対面。翌年、大阪松竹座で星野哲郎もの「妻への詫び状」で1カ月、すっかりお世話になり、彼が演出した「浅草瓢箪池」に呼んでもらった。同い年だが僕にとってはお師匠さんだから、今回のけいこのあとの酒でも、話は多少辛口になる。
 「あんたね、カカドで芝居をしなけりゃ…」
 とポツン。セリフ沢山の大役に、僕の芝居が爪先立ちでつんのめっているということか、役がまだ肚に入っていないぞ!のココロか。
 「されど芝居」と「カカドの芝居」が、頭の中でぐるぐる回った初日の昼夜2公演。
 「まああんなに沢山のセリフを、よく覚えたなあ」
 と、演技力より記憶力を評価して帰ったのは山田廣作プロデューサー。
 「昭和22年の話でしょ。思いがけないものを観せてもらった。面白かったな」
 が、飯田久彦氏の総評。その他口々の感想は、かなりヨイショの気配が濃いが、僕はオミコシ承知でそれに悪乗り。30日の日曜まであと3日、6回公演を踏ん張る気でいる。

週刊ミュージック・リポート