新歩道橋824回

2012年11月4日更新


  
 「どうでした?」
 と、石川さゆりが小首をかしげる。
 「うん、面白かったし、楽しかったよ。アルバムも含めてな」
 と、僕が応じる。
 「歌芝居は? 樋口一葉…」
 とさゆり。
 「どこまで行っても、さゆりが居るよな」
 と僕。その瞬間、彼女の表情がふっと動いて、
 「そっかあ…」
 の声が低めになった。10月20日夜の青山劇場の楽屋。
 《これだから嫌なんだ、終演後に顔を出すのは…》
 と、僕は少々後悔する。ひと仕事終えたばかりの昂揚が隠せない主人公に、きつい感想を言うのは無礼だし、かといって本音をしまい込んでおべんちゃらも性に合わない。だから大ていの催しはスッと帰るのだが、今回はプロデューサーの佐藤尚に有無を言わせず連れ込まれた。それにしても言葉が短か過ぎた。どこまでもお前さんが居る…を、彼女はどう受け取ったのだろう? そっかあ…は、どう合点してのリアクションだったのか?
 昔から、芯の強い人だとは判っていた。何につけてもまっしぐらなのだ。それが40周年記念の音楽会である。タイトルまで「感じるままに」で、おなじみの曲にも新曲にも、〝やる気〟があらわだった。時に歌詞の語尾がぞんざいになるくらいの強めのノリ。歌が〝どうだ顔〟をしていた。
 それがコンサートの面白さ、現時点での本人の姿…と客は楽しむ。老若男女がほどよく混ざって、いい客ダネが前のめりで聴く。拍手が熱い。掛け声も盛んだ。
 《判る気もするな》
 阿久悠や吉岡治、三木たかし…と、頼りにしていたパートナーが次々に、渋谷森久まで逝ってしまった。ひとりぼっちで「とにかくやらにゃね」の日々。「一葉の恋」を作、構成したG2も音楽の山崎ハコも、直接自分で電話をして頼んだ。アンコールでデビュー曲「かくれんぼ」を歌うについて、新しい詞を山上路夫に頼む。佐藤が断られたのに、直談判でOKを取り付けた。山上が「泣く子と女にゃ勝てない」とコメントするはずだ。
 記念アルバム「X―Cross―石川さゆり」
は、奥田民生、宮沢和史、くるりの岸田繁、谷山浩子にハコらが曲を提供した。それぞれにきっと、それらしいエピソードが残っていそうな顔合わせ。「山査子」「さがり花」「あふれる涙」「花火」「少女」なんてタイトルが並んで、おおむねテーマは「花」や「涙」「夢」に「惜別」…。総体にシンプルな作品群を、「上」に当てた声をすぼめ、哀愁ひと刷毛の歌の仕上げ方に好感を持つ。
 聴き進んで「やっぱりな!」とニヤリとした。シングルカットした「生まれ変わるよりも」は宮沢の詞曲。
 ♪転がることに疲れたけれど、夢みた場所はここじゃないはず…
 を前置きふうに歌って、
 ♪過去を悔やむよりも明日を信じたい、虹が出たらこの人生も七色に染まる…
 と、明るめに、歌の視線が上を向いて声高になる。これはそのまま、彼女からのメッセージだ。
 《やっぱりな…》
 と、僕は自宅から眼下の葉山の海に視線を転じて、ひとり肩をすくめたものだ。
 この人は歌を〝演じる〟タイプ。だから作品がこの人の世界を多彩にする妙がある。歌芝居はその延長線上にあり、その都度すっと役に入って〝その気〟を観せる。「一葉の恋」は本人が〝落語状態〟と言ったように、登場人物を声の使い方や、顔の向き、居ずまいなどで演じ分けようとした。今回はそんな手法の〝その気〟に、節目、独歩の〝やる気〟が上乗せである。人物それぞれの押しが強く、均等均質になりがちで、結果どの役にもさゆり本人の思いが透けて見えた。
 それが冒頭の一言の意味なのだが、ま、それはそれでいいか。今の自分を素直に、感じるままに…が昨今の心境なら、芝居の差す手引く手だの陰影だのの屁理屈は棚にあげるっきゃない。「生まれ変わるよりも、生まれなおしたい」と正面切って歌って、今年この人は一体、いくつになったのだろう?

週刊ミュージック・リポート