新歩道橋825回

2012年11月13日更新


  
 「あなたの艶冶な歌声と日本語の美しい響きが、世界の人々を魅了しました」
 と、表彰状の冒頭に書いた。9月24日、東京ドームホテルでやったスポニチ文化芸術大賞の贈賞式で、グランプリの由紀さおりに渡したもの。例のピンク・マルティーニとのコラボアルバム「1969」の成果と、その後のムーブメントが対象だった。
 《艶冶な歌声なあ…》
 僕は10月30日夜、渋谷のオーチャードホールで、その実際を再確認することになる。アルバムでもそうだが、歌う由紀のキイが、びっくりするくらい下げられているのだ。「いいじゃないの幸せならば」や「Puff,The Magic Dragon」などが極端な例だが、いつもの彼女よりも一体何度下げていたろう?
 当初本人も、欲求不満におちいる選択だったそうだが、
 「ふむ…」
 と、僕は合点がいった。いつもの由紀の歌声は、陶磁器みたいな光沢を帯びていた。それが類稀れな特色で、結果この人の音楽性を支え、独自の世界を作る源になっていた。だから僕は、デビュー曲「夜明けのスキャット」に驚倒して、お先棒をかついだものだ。しかし、その美点も慣れ切ると、次第にじれったさが募った。3年前に彼女の40周年コンサートを手伝った時に、
 「また卵に目鼻みたいな、ツルンとした世界を作るのかい?」
 などと、憎まれ口を叩いたのもそのせいだ。それが――。
 キイを下げることによって、歌声に人肌の温かさと優しさが生まれた。以前の光沢がしっとり奥行きのある艶に変わった。彼女のひととなりや来し方行く末への夢が、いい感じの手触りで伝わる気配が強まる。昔、歌手たちは大向こうの客へ、歌声を放った。朗々と「個」から「全体」への手渡し方が主流で、時に聴衆を圧倒するパワーを示した。ところが昨今は、「個」から「個」へ、マントゥーマンの唱法が、突き抜けて「全体」におよぶ歌い方に変わっている。美声やテクニックを誇示する声楽性をはなれ、作品と歌い手の思いを重ねて細やかに、個人の感性や情感を伝えるやり方である。由紀の歌唱の変化は巧まずして、そんな時宜にかなった。そのうえ彼女の新しい艶声に、日本語の響きがきれいに乗る。生み出された「たおやかさ」はもしかすると、世界の人々が見失っていたものかも知れない。
 キイを下げる言い出しっぺは、ピンク・マルティーニのリーダー、トーマス・ローダーデールだと聞いた。独特の感性の持ち主のこのピアニストは、黒のスーツになぜか児童用の真っ赤なランドセルを背負って、開演前や休憩時間に客席をちょろちょろし、そのままステージに上がった。鍵盤上で両指両手がはね上がり、走り回る演奏で、片言の日本語まじりのMCもやり、琴奏者の女性を俄か通訳に使うなど、なかなかのパフォーマーぶりである。
 バンドを結成して18年という。ヨーロッパ各地へ遠征、必ずその国の作品をまじえて演奏し、あちこちで人気を得ている。初めて見るのになぜか、おなじみの世界みたいに思えるのは、軽快で歯切れのいいラテン系の演奏が、理屈抜きに客を楽しませるせいか。「ブルーライト・ヨコハマ」「真夜中のギター」「真夜中のボサノバ」「夕月」「ウナセラディ東京」「USKUDAR」「Mas gue nada」…と、よく知っている曲が並ぶせいか? 由紀はこのムーブメントで、いずみたく、筒美京平、宮川泰、三木たかしらが書いた「歌謡曲黄金の70年代」の作品が、時代と国境を越えることも立証した。それがスポニチ文化芸術大賞グランプリの、二つめの贈賞理由になっている。
 お祭り騒ぎ好きのピアニストは、幕切れでも観客をあおり、総立ちで踊らせ、舞台いっぱいに上げた。由紀はこのコラボで〝華麗なる脱皮〟に成功したが、ピンク・マルティーニもうまいこと、日本市場進出に成功したようだ。

週刊ミュージック・リポート