新歩道橋828回

2012年12月18日更新


 
 11月、例年の楽しみは、温泉と芋煮とせいさい漬けとつや姫である。山形県天童へ出かけると用意されているご馳走。芋煮は里芋がメインのしょうゆ味のごった煮。せいさい漬けは高菜に似た野菜の漬け物で、太めの茎の歯応えと葉の鮮やかな緑が得も言われぬ。
 「せいさいって、どういう字?」
 いつもの雑文屋の僕の気がかりだが、
 「せいさいはせいさいだよ」
 と、毎年世話になるおばさんはそっけない。字を当てて考えたことがない気配だ。つや姫は山形産の米でこれが滅法うまい。そういうなら…と5キロの袋を送ってくれるが、食べ切ると銀座にある山形のアンテナショップへ買い出しに行く。近ごろはテレビのCFにも時々出てくる。評判が広がっているのだろう。
 11月に天童へ出かけるのは、「佐藤千夜子杯歌謡祭」というのの審査を頼まれているせい。佐藤は昭和3年にビクターから出した「波浮の港」のヒットが〝日本初の商業レコード〟とされる歌謡曲の草分け歌手。ほかに「東京行進曲」「紅屋の娘」「ゴンドラの唄」などのヒットを持つ。天童市出身で、その遺徳を顕彰する意味あいから、カラオケ大会のタイトルの冠になっている。
 僕の天童通いは、かれこれ10年になる。イベントが土地の人々の手づくりで、一生懸命さが貴くも嬉しい限りのせいだ。市の有力者で名刹の僧・矢吹海慶氏が実行委員長で各方面ににらみを利かせ、現場は福田信子さんを筆頭にした天童バルズがあたふた走り回る。〝バルズ〟は〝元ギャル〟の僕の造語である。矢吹氏は
 「今年初めて…と言っても、誰でも初めてだけど、81才になったのでカラオケ教室に入門した」
 と笑う歌好きの粋人で、舌がんのリハビリにももって来いとか。酔余、
 「酒と女は2ゴウまで…」
 とうそぶいたりする。
 イベントは年々大きくなった。今年11月18日には東京からの遠征組も含めて、東北の歌好きがホテル舞鶴荘のホールに104人も集まった。それが1コーラスずつ歌うのが予選で、決戦は勝ち進んだ10人がノドを競い、この部分は地元のYBCラジオが録音中継する。審査は山形の名士ダイジン・木村尚武氏にセンガ、アサクラ、クシダと僕が呼び捨てでつき合う仲間と、佐藤の姪に当たる滝沢美子さん。いつもの気のおけない顔ぶれだから、延べ114曲分を採点するのも、さして苦にはならない。
 「うまい歌」よりは「いい歌」を選ぶ。「いい声」と「巧みな節回し」は素人受けはするが、それだけだと情趣に乏しく、歌をみせびらかすヤマっ気が鼻につく。声も節もしょせんは歌のココロを伝える道具でしかないから、その上に「思い」がどう加味されたかに審査の軸足をおくのだ。「思い」とは何か? 作品に託されたものと、歌い手が作品にこめるものの合計とでもいうか。要は歌う人の心の揺れ幅、感受性の豊かさと率直な表現力…。
 「枇杷の実のなる頃」の鈴木佐蔦香さんが優勝!と決めたら、審査員室担当のバルが飛び上がった。娘の嫁ぎ先の小姑で、最近ふた親を亡くした人と後で聞いた。準優勝の「J」鈴木美佳さんは陸前高田市の娘で、震災で友人を亡くしていたと、これも採点後の泣きじゃくりながらの話。道理で二人とも歌に哀惜の情が濃かったわけだ。最優秀歌唱賞は来日して20年のアメリカ女性シア・スティワートさん。「赤坂レイニー・ブルース」で血の熱さのただならさを突きつけて来た。
 地方のカラオケ大会の楽しみは、それやこれやの土地柄やお人柄に触れることである。だから酒席の懐石料理のおもてなしよりも、芋煮、せいさい漬け、つや姫。当初、
 「そんなものでいいの?」
 といぶかったバルたちも、毎年それを用意してくれるようになった。そのうえ今年のお土産はニッカのびんにラフランスが一個丸ごと入った酒づけである。実がごく小さいうちにびんをかぶせて、成熟を待った結果らしい。
 「う~む」
 と唸りながら、好意をありがたく受け取ったものだ。

週刊ミュージック・リポート