新歩道橋829回

2012年12月21日更新


 
 氷川きよしが4人も居た。12月12日夕の東京国際フォーラム。恒例のクリスマス・コンサートでの話だが、ステージ両サイドにクローズアップの映像。これは歌う氷川をフォローするのだからよくあるケースだ。しかし、本人の表情、ことにひたと見据える眼差しまで、生々しく伝わるあたりが、観客にはたまらない演出だろう。彼がよく口にする「ファン一人々々との触れ合い」という精神が、とても具体的に形になっている。
 《ほほう!》
 と感じ入るのはもう一つの映像で、これがステージ中央、巨大な背景になっている。映し出されているのは、氷川のプロモーション・ビデオふう〝動くグラビア〟で、アイドルとしての彼の種々相がネタ。田園風景の中の彼、メキシコあたりの街の中の彼、サンタクロース姿で犬とたわむれる彼…と、曲ごとの変化が面白い。結局、生と大写しの彼で3人、ストーリー展開するつくりものの彼と、合計4人の氷川がいつもいることになる。
 「健康に明るく、まっすぐに歌っていきたいですな」
 などと、時にわざと年寄りじみた口調になる本人には、スター暮らし13年の成熟ぶりが顔を出す。働き盛りの壮年と言ってもいい気配だが、それと巨大スクリーンの中のアイドルぶりとが、うまい具合に相乗効果をあげる。ファンの側からすれば、相変わらずの〝かわいいきよし君〟と、大成した〝おとなのきよしさん〟の二重写し。ついこの間、日本作詩大賞を受賞したなかにし礼作品「櫻」の世界が、決して背伸びしたものではないことを、ファンは得心したろう。アイドル性を維持しながら、もう一つ上の大成を目指すスタッフの、細心の演出だろうか?
 傘を片手に「関東春雨傘」を歌うシーンに、僕は「ほう!」とあらぬ感慨を抱いた。前夜の11日、五反田のゆうぽうとで「迦具夜姫」を踊った長嶺ヤス子も、この曲を使っていたせいだ。すっきりした男振りの氷川と、例によってぬらぬらどろどろの長嶺の、両極で聞いたこの曲。昭和38年末にスタートした日本クラウンの第一号作品として世に出たが、もう50年の年月に耐えて、少しも古さを感じさせない。そういえば作詞作曲した米山正夫は、今年生誕百年で、コロムビアとクラウンから作品集が出ている。
 「何が何でも見に来てね」
 と、長嶺からは電話攻めにあった。
 「やっと来たか!」
 と、氷川の長良グループの人たちからは、冷やかしの歓迎を受けた。12月はあちこちのイベントに不義理ばかりだから、僕はヤレヤレの気分になる。というのも来年の1、2月、名古屋・御園座公演のけいこに、びっちりつかまっていてのこと。何しろ川中美幸と松平健という座長二人の顔合わせ。川中の「赤穂の寒桜・大石りくの半生」と松平の「暴れん坊将軍・初夢江戸の恵方松」が日替わりで、二人は芝居で相互乗入れ出演。ショーは別々だが、これにもお互い花を添えるという趣向だ。
 御園座が来春で閉館するさよなら公演ということで、実現した初の企画である。川中一座の末席をけがす老優としての僕は、共演の皆さん同様に、双方の芝居に出る厚遇に恵まれた。「赤穂の寒桜」は赤穂藩の浪士・大野九郎兵衛。「暴れん坊将軍」は、小石川養生所の医師という役どころで、花道から出たり入ったりの見せ場まで貰う。自然、気合いの入り方尋常ではなく、喜々として品川のOMスタジオへ通う日々なのだ。
 その道すがら思うのは「日野美歌のボーカリストぶりが秀逸」とか「美川憲一の〝金の月〟の原文彦の詞が抜群」とか「元JCMの岡社長が森山慎也の筆名で作曲した香西かおりの〝酒のやど〟にしびれた」とか。流行歌雑文屋と役者の二足のわらじの1年を振り返りながら、13日の夜などは、けいこの後にたかたかしと合流して銀座の「晴晴」でカラオケ。「瞼の母」を歌い競ったりした。師走バタバタのご報告、今回がこの欄今年の最終回である。

週刊ミュージック・リポート