新歩道橋838回

2013年4月13日更新


 
 「人情の機微を、花鳥風月の抒情に託して・・・」 昔、詩人のどなたかから聞いた歌づくりの要諦の一つである。しかし、今どきの若い人にこの風流が通じるものか・・・と思うが、時に「ふむ!」と合点が行く作品にでっくわすこともある。最近の例でいえば、大石まどかが歌う「春一夜」で、作詞がさいとう大三、作曲が四方章人、編曲が蔦将包ー。
 春の夜に花が散る。恋の終わりをかみしめる女。黒髪に散る「桜」、涙も静かに・・・というのが一番の歌詞。二番の小道具は「蝶」で、三番には「おぼろ月」が登場する。蝶には今は幻の恋のあれこれ、月には失った恋の追想が託されている。
 《やるじゃないか、なかなかに・・・》
 と、さいとうのやや暗めの眼差しを思い出す。1節5行の古風な発想と簡潔な表現に、わが意を得たり・・・の心地がしてのこと。同じ感想を伝えれば、四方はきっと、
 「そうですか・・・」
 と、少しテレて、あの実直そうな眼をしわくちゃに笑うだろう。ゆったりめのワルツが一途に、ゆるみたるみのない情感を伝えてくる。それやこれやの素材を蔦は彼流の絵に仕立てた。「いいねえ」と言えばこちらはふっと笑って肩をすくめそう。三人とも「花鳥風月の趣き」を思い起こせる年かっこうの歌書きだ。
 「じゃあ、私はどうなるの?」
 と、小首をかしげて聞く番は大石だろう。詞や曲やアレンジの良さは、歌手の歌ごころで具体的に生かされ、伝えられるものだから、僕の答えはやはり「やるじゃないか!」になる。吐息まじりに抑制の利いた唱法で、彼女はこの作品のココロを作った。うつ向き加減に、自分の胸中をのぞく主人公の姿までほの見えてくる。サビの1行分がそれを形にし、「春ひとよ・・・」の歌い納めできっぱりと、思いのたけを解放した。歌声が芯をくうのはこの個所だけ・・・。
 類形化ばかりが目立つ近ごろの演歌の中では、存在感強めの作品である。短めの詞に曲がワルツとなれば、とかく地味な仕上がりになりがちだが、このチームは巧まずして「地味派手」の魅力を作り出した。そういえば、顔が見えない制作者も花鳥風月の一人か。この作品を用意、大石の熟した女ぶりを前面に出した手腕がなかなか・・・である。カップリングの「ちいさな酒場」と、どちらで行くかの話があったと聞くが、独自性では「春一夜」で正解だと思う。片方も同じトリオが書いて悪くはないが、近ごの歌の流れの中では「並み」に聞える。
 それやこれやの感想を実は3月のはじめ、台北のホテルの深夜に感じた。小西会という遊び仲間のゴルフツアーで出かけた先。何だか昭和のあのころみたいな台湾の風物と旅ごころと酔い心地が、この歌の情趣を増幅したかも知れない。僕らの旅は早朝にホテルを出、ゴルフ場を走り回り、料理店で酒盛りをしてホテルへ戻る三角コースを繰り返すのが常。僕だけがとる大きめの部屋は二次会会場で、東京から持ち込んだ仕事をやるのはそのあとだから、どうしても深夜になる。
 僕は今年の桜を最初に台湾で見た。山桜みたいに小ぶりな淡い色の花が、郊外のあちこちに咲いていて、ゴルフ場には黄色が鮮やかな風鈴木の花。凄かったのは「老淡水」というコースのキャディ、老若一組の男性だが、グリーンでの助言は明解に一点限定、もはや「指示」に近い。有名プロを輩出した名門コースを取り仕切る風格も備えていて、後で聞いたら、全員シングルの腕前だそうな。
 台北市内から北へ23キロ、車で小一時間の国立公園、陽明山の山水園という温泉もなかなかだった。湯治場ふう硫黄泉が、朽ち果てた家屋の奥の奥にある。国立公園だから増改築が不可なのだと主人の林さんの釈明。実はこの人、僕らの現地ガイドだったが、正真正銘の温泉はここくらいと胸を張るのにつき合ってみた。その真偽のほどはともかく、旅は道づれ世は情である。そのうえ旅先でいい歌みつけた! なのだから、何とも味な4泊5日4プレーの旅ではあった。

週刊ミュージック・リポート