新歩道橋839回

2013年4月22日更新



 「いやいや、なかなかに・・・」
 「はははは、どうもどうも・・・」
 他人が聞いたら何のことか、見当がつきそうもないあいさつを、エイベックス顧問の稲垣博司氏と交わした。4月8日早朝、相模カンツリー?楽部の入り口。もう35回になるという集英社のコンペに参加してのことだが、当の二人だけ判っている会話のタネは、稲垣氏の著書「じたばたしても始まらない」(光文社刊)だった。
 何とも大胆なタイトルだが「人生51勝49敗の成功理論」が副題で、彼の自伝的業界体験50年分と、その間に体得したエンターテイメント人生の哲学が開陳されている。そう書くと理屈っぽい本と思われそうで申し訳ないが、そうではなくて、これが滅法面白い。渡辺プローCBSソニーーワーナーミュージック・ジャパンーエイベックス・・・と、彼が辿った年月のあれこれのエピソードが、実名入りでこと細か・・・。
 レコード大賞を中心にした賞レースの裏面にもかなりのスペースを割くが、決して暴露本ではない。プロダクションからレコード会社と、立場は変わっても、賞とりはいわばビジネス。相当に厳しい戦いを展開しながら、レースそのものの意味を自分に問い、その中で育って行く人間関係を貴重なものとする考察が彼流なのだ。
 今でもたまに夢にみて、うなされることがあると述懐するのは、1972年に、郷ひろみが最優秀新人賞を狙った大晦日。票集めに自信満々だった彼の前で、呼び上げられた歌手の名は、郷ではなくて麻丘めぐみだった。これが彼の業界50年の、最も苦い経験の一つと言うが、同時にそれは今日の彼の成功へ、大きなバネになっていたのだろう。
 《そうか、あの時そうだったのか・・・》
 と、僕が思い返すのは、一つの出来事には幾つもの局面があるということ。あの年の最優秀新人賞の候補は麻丘、郷のほかに森昌子、青い三角定規、三善英史の名が並んでいる。「ン?」と気づかれる向きもあろうが、麻丘と三善はともにビクターの所属、百戦錬磨のビクターが、候補を一人に絞り切れないはずはなかった。それがこんな形になったのは、三善で行くと決めたビクターに、麻丘のお抱え主の小澤音楽事務所、小澤惇社長が憤慨してのこと。しかし、ビクターの実力者たちに表だって異を唱え切れず、獅子身中の虫になった小澤氏は、日夜秘かに審査員諸氏に、〝やむにやまれぬ真情〟を訴えて回った。稲垣氏をガク然とさせた結果を生んだのは、老舗メーカーに対する弱小プロダクションの謀叛で、理詰めの根回しと情がからんだ陳情の対決だったろうか。
 稲垣氏のこの本に書かれた出来事の、異った局面をあげつらうことは、裏面史的要素に深入りし過ぎる。それは決して、氏の望むところではないだろうし、失礼にも当たると思いながら読み進むのだが、連想するエピソードは沢山あった。振り向けば僕も、スポニチの取材部門へ異動したのが昭和38年だから、もう50年になる。稲垣氏の半生に、僕の雑文屋50年のあれこれが刺激される実感があった。
 稲垣氏は常々、
 ①よい音楽とよくない音楽
 ②新しい音楽と古い音楽
 ③売れる音楽と売れない音楽
 の3点を考え③をビジネスの物差しにして来たという。彼だけではなくレコード業界は長いこと、利益を追求するために過度の若者偏重に陥っていた。それを今、「音楽へのリスペクトを失わせ過ぎなかったか?」と省るあたりの記述は、率直な本音だろう。
 この本が単なる回想録でないことは、6章の後半2章が「音楽業界に向けて今思うこと」「これから次代を担う人たちに向けて」に割かれていることではっきりする。エンターテイメント系ビジネスマンとしての要諦が多岐にわたり、示唆に富んで鋭い。
《俺は氏と同じ年月を、もっぱら情念だの情感だのの流行歌狂いに過ごしたな》
 読後そんなほろ苦さが先に立ったのは、新聞社の幹部の時期さえも終始編集系だったから、金を遣うことばかり考えて来た自分に思い当たったせいである。

週刊ミュージック・リポート