新歩道橋840回

2013年4月27日更新


 
 長良グループの夜桜演歌まつりは、今年14回目を迎えた。4月11日、すみだトリフォニーホール。例によって所属歌手が総出なのへ、JR錦糸町駅から善男善女が三々五々、ひきも切らなかった。
 《長良じゅんさんに見せたかったな・・・》
 その群れの中を歩きながら僕は少々感傷的な気分になる。都内23区を23年かけて回る。収益の一部をその都度、区の福祉関係に役だててもらうー彼が14年前に始めた企画である。残念ながら長良さんは昨年ハワイで客死した。しかし、彼が育てたスタッフによって、その意志はきちんと引き継がれている。
 山川豊がボス格、氷川きよしが少しやんちゃな兄貴分ふうなやりとり。それを母親になった田川寿美が見守り、水森かおりが賑やかに盛り上げる。森川つくしは近ごろステージでもメガネをかけ、岩佐美咲にはいかにもAKBの一員らしい掛け声が湧き、三人組のはやぶさはいつも通りに丁寧すぎるくらいのおじぎをする。久しぶりの藤野とし恵は「浅草情話」を歌った。50周年記念曲だと言う。
 《そうか、彼女のキャリアも、もうそんなになるのか!》
 出演者が紹介されるシーン。当然のことだがそれぞれに拍手や掛け声が飛ぶ。その都度一緒になって拍手するのが水森で、自分の番でも同じ。そのうえ例によってピョンピョン飛びはねたりする。
 《かわらねェな、この人は・・・》
 僕は客席でにやけてしまう。ご当地ソングの女王と呼ばれるようになって、今回の「伊勢めぐり」でもう11年、11作目である。言動、それらしく収まって来てもいいころあいだし年かっこうなのだが、まるでそんな気配はない。つとめて庶民派を演じている訳ではなく、根っからの下町娘ふうの飾り気のなさが、長く好感度を得ているのだろう。
 変わらなさは、作品にも顕著だ。歌詞の一番で旅先の主人公が登場、二番で失った恋を回想、三番で気強くまた旅を続けるワン・パターン。ヒットの鉱脈を堀り当てれば、当分はその路線を行く〝意図的マンネリズム作法〟は、時おり見かける。しかし、判で押したような内容を、こんなに長く続けるのは稀有のケース。木下龍太郎がレールに乗せたものを、彼の没後、何人かの作詞家が微妙にニュアンスを変えながら、踏襲している。作曲はずっと弦哲也。観光地絵葉書ソングをしみじみと・・・という枠組で、水森の進化も聞かせる苦心のほどは、想像にあまりある。
 水森に言わせれば、11作もの作品の主人公が、ずっと同一人物だそうで、これにはこちらが《へえ~っ!》になった。シリーズものでもヒロインは一作品一人・・・と、ばく然と考えていたのが意表を衝かれた形。一人で11カ所も旅また旅・・・の勘定になるが、そのせいか水森は、
 「もうそろそろ、職場に復帰しなくちゃね」
 と笑う。どうやら主人公はOLというのが、彼女の想定らしいのだ。
 それにしてもステージで、あんなに嬉しそうにはしゃいでいて、イントロでパッと歌に入る切り替え方は、なかなかである。
 「どういうタイミングで、どういうふうにスイッチを入れるの?」
 と聞いたら、答えが振るっていた。
 「私は、彼女の同伴者の位置に居て、こういう人がこういう思いで、こういうところに居るーと、伝える係だと思っている」
 歌の作り方は歌手によってさまざまだろうが、大別すれば二つ。一つは作品の主人公になりすまそうとするタイプで、他方は作品をドラマのシナリオと捉え、主人公を演じてみせるタイプ。水森のやり方は後者に近いが、語り部みたいな立ち位置が、主人公との距離を作っている。これなら辛いひとり旅のお話も、笑いながらでも歌える勘定だ。
 彼女の部屋には、育ての親の長良さんの写真が飾ってある。仕事に出かける時、彼女はそれにあいさつをするそうな。そのうえ彼女の鞄には、いつも長良さんの写真が入れてあるとも聞いた。春4月、墨田区のステージでピョンピョンしている彼女を眺めながら、僕はそんな彼女の心根の優しさを思い起こして、妙にしみじみとしたものだ。

週刊ミュージック・リポート