新歩道橋841回

2013年5月7日更新


 
 いきなり「りんご追分」である。
 《やっぱりなァ・・・》
 と、僕は妙に納得する気分になる。4月23日の昼夜2回、横浜にぎわい座で開かれた「恋川純弥特別公演」の第3部「舞踏絵巻」でのことだが、大衆演劇おなじみのショー。どこでどんな一座を見ても、大ていひばりソングが出て来る。
 そう言えば、3月30日に五反田ゆうぽうとで開かれた「コロムビア大行進」29年ぶりの復活公演にも「ひばりコーナー」が設けられ、大勢の後輩歌手たちが、彼女のレパートリーを歌った。島倉千代子、舟木一夫、都はるみ、細川たかし、八代亜紀ら所属歌手総出のイベントだが、詰めかけたファンも、このコーナーで納得した。没後24年にもなるが、ひばりは依然として〝看板〟なのだ。
 にぎわい座の楽屋へ、〝年下の大先輩〟細川智を訪ねた。名前は「さとる」と読むが「ちいさん」の愛称の方が通っている人で、以前川中美幸公演で一緒になったのが縁。大病を患って舞台を離れた時期を持つせいか、それとも生来シャイなのが、居直って斜に構えるのか、自堕落、マイペースを公言、世捨人みたいな言動が、妙に魅力的な人だ。 それが血色もよく、少し太って、ひどく元気そうになっていて驚いた。当日の主役恋川純弥と二代目恋川純という兄弟との出会いから、新国劇出身、辰巳柳太郎の弟子だった血が、にわかに騒ぎ始めたらしい。この兄弟、昨年亡くなった新国劇三代目座長大山克巳の弟子で、今回上演した芝居が「月形半平太」である。新国劇を創設した沢田正二郎が、大衆演劇の活路を開いたレパートリー。細川は乞われて今回公演の手ほどきをした。
 「孫みたいな年の役者と、会話が成立するんですわ。それが辰巳先生のファンで、目指すのが新国劇の世界と言う。こんな嬉しいことはない・・・」 ことさら彼がぞっこんなのが弟の純で、「国定忠治」上演の手伝いをし、次は「一本刀土俵入り」をやろうと意気投合している。まだ20才だと聞いたが、確かに華があるうえ眼力がなかなかで、兄純弥と対峙した「殺陣田村」や、何曲か踊った舞いも、きびきびとした動きでキレが滅法いい。「ひたむきさ」が前面に出て、客の心を動かすのだ。細川はこの青年に、自分の新国劇体験を何から何まで、伝えて行こうと決心したらしい。
 終演後、打ち上げの宴の隅で、ちいさんと飲んだ。彼は大事にしていた新国劇の台本100部以上を、純に渡すとまで言う。純は兄純弥とともに、父母の劇団で育った。兄はやがて一本立ちし、弟は父の劇団を引き継ぎ、二代目恋川純を名乗る。大阪がフランチャイズだが、全国を股にかけるのは、この種の劇団の例にもれない。今回の公演には、兄弟の仲間である小泉たつみや三河家諒もゲスト出演して花を添えた。いずれも劇団を主宰する座長だと言う。
 それやこれやで、満員の客席は9割方が女性である。舞踏絵巻では、それぞれのごひいきに扇状に形づくられた1万円札の束が捧げられる。彼らはその瞬間、集金マシーン化するが、踊りの品もシナも崩さない。全国にこの種の劇団は300余あって、各地で人気を競っている。本拠地へ戻るのは年のうち1カ月あるかないかの売れ方・・・。
 ごく庶民的な彼らを、もしマイナーな存在としたら、細川の新国劇は立派なメジャーだったろう。しかし、この若者と老優には、そんな区別などまるでない。あるのは徹底的に大衆に提供する娯楽への献身。それと、大衆演劇の古典とも言える新国劇への純の傾倒と、その才能と意気に感じ細川の役者としての同志的情熱だろう。
 「いい老後だねぇ、ちいさん・・・」
 役者兼業の僕が時おり人からが言われる感想を、僕はそのままテレずに彼に伝えたものだ。
 いい気分で葉山の自宅へ戻ったら、ひばりプロ加藤和也社長から手紙が届いていた。渋谷・青葉台のひばり邸を、記念館としてファンに開放すると言う。
 「ひばりさんは、いつまで経っても、決して居なくならないな・・・」
 酔余、僕はしみじみとまた、あの人との往時を思い返した。

週刊ミュージック・リポート