新歩道橋844回

2013年6月10日更新


 
 親友の木村隆から新著が届いた。「演劇人の本音」(早川書房刊)で、24人の演劇人へのインタビュー集だ。小幡欣治、別役実、山田太一らの劇作家から、仲代達矢、大滝秀治、奈良岡朋子、梅野泰靖、南風洋子、樫山文枝、日色ともゑら俳優たちの名がズラリと並ぶ。「演じるとは何か?」「演劇の本質に迫った」などと、帯の惹句からして相当な力の入れ方だ。 
 《ふむ・・・》
 深夜、この労作と向き合う。例えば仲代の小見出しは「役になり切れ? いや、絶対になり切れない」、大滝のそれは「役は浸かる。浸る、耽る、籠めるもの」とある。70才で役者(らしきもの・・・と言うべきか)兼業(これも恐れを知らぬ表現)に転じて7年目の僕は、文字通り震撼させられる。 「あんたはそのとば口にいるのだ。もっとひたむきに勉強しろ!」
 とでもいいたげな、木村の顔が目に浮かぶ。
 〝うれしい会〟というゴルフコンペが年に3回ほどある。亡くなった小幡欣治が主宰した催しで、それに参加、東京への帰路、便乗させてもらった車の主、東京宝塚劇場の小川支配人が、
 「木村さんが〝です、ます〟で相手する人に初めて会ったわ」
 と笑った。この人元宝塚の大スター甲にしきで、木村とは長いつき合いのはず。
 ことほどさように木村は、演劇評論家としての地歩を占めているのだが、もともとはスポーツニッポン新聞社の同僚で、酔余僕が、
 「あいつは、俺のヘイタイです」
 と言い放つ間柄。山形・鶴岡の産まれで、重めめの口調が時に膠もなく聞こえる損がある。
 この本が、彼の演劇論や俳優論ではなく、インタビュー形式であるところが面白い。持ち前のねちっこさで、とことん根堀り葉堀りしただろう気配がありあり。うまく相手の本音を引き出した妙がある。「演じるとは何か?」に徹底的にこだわり、ついには取材対象の人間そのものにやんわりと肉薄していて鋭い。
 相前後して、もう一人の親友・寺本幸司が、下北沢で個展を開いた。かつて浅川マキ、りりィ、桑名正博、下田逸郎、南正人らをプロデュースした切れ者。近ごろは寺本耿の筆名で小説も書いている。発表の場が勝目梓がボスの同人誌「スペッキヲ40」なのも何となくシブイが、今度は「てらもとゆきじ・絵画(?)展」と来た。
 《いつから、絵なんてものを?》
 いぶかりながら個展の最終日、5月26日夕方に出かけたのは、打ち上げの酒盛りに参加する魂胆があってのこと。驚くべきことに、展示された絵はここ2カ月半ほどで一気に書き上げたものだと言う。ぐりぐりと歪んだ楕円の中に、人物やら心象風景やらが描かれた、不思議な世界。混沌の意識の中の一瞬の覚醒を、切り取ったというか、すくい上げたというか。
 湘南・大磯へ転居して3年、元町長の絵書き夫妻と知り合って、絵心が触発されたらしい。これまでの半生に視聴きして、脳裡に蓄積されていたさまざまな〝美〟が、一気に爆発した。それを形にし、人に示すことで彼は、長い裏方人生から表舞台に跳躍したらしいのだ。
 近くでライブをやっていた下田も顔を出す。
 「そう言や俺たち、ブロードウェイのオフオフでミュージカルやったあと、大勢で小西さんちへころがり込んだよな」
 下田が東京キッドブラザーズ公演の?末に触れたから、居合わせた何人かと僕は、僕の三軒茶屋時代へタイムスリップした。1970年代、お化け屋敷めいた古い西洋館に蟠踞して、寺本は同居人第1号、木村はしばしば酔っ払いの泊り客ふうだった。
 《みんな、なかなかに年に似ぬ充実ぶりだ》
 寺本75才、木村71才、いずれもこの世界の泥水を、たっぷり吸収した挙句の物狂いというか、潮満ちての開花というか。その喜びを友人の一人として共有しながら、
 《俺もうかうかしていられないぞ》
 77才になる僕は、逗子の歯医者に通いつつ、9月末の劇団東宝現代劇75人の会公演に、じっとりと備えている。

週刊ミュージック・リポート