新歩道橋845回

2013年6月15日更新


 
 「文化庁から正式ブランドとして認可されたんです。これで〝稲取金目鯛〟はキンメの本家本元になります。西の〝関サバ〟東の〝稲取キンメ〟と、吉岡先生が書いてくれた歌の文句がズバリです!」
 顔を見るなり満面の笑顔で、そうまくし立てたのは東伊豆町の梅原裕一観光商工課長と岩崎名臣主査。型や味も最高のうえ、有力な観光資源なって、嬉しさひとしおらしいのだ。
 話に出た吉岡治作品はタイトルもズバリと「金目の大将」で、4年前に永井裕子が歌ってCDにした。もともと雛のつるし飾りで知られる稲取温泉。それを全国に発信したい地元の求めに応じて「望郷岬」という歌を作った。取材旅行に同行したのが吉岡と作曲の四方章人。ところが現地では、
 ?キンとひと言いったが最後、地獄だよ、金目のはなしは止まらない・・・
 くらいに地元の人々が躁状態。それを面白がって、吉岡がそのまま書き込んで歌にしたカップル曲だ。
 ?西に名代の関サバありというなら、東に稲取金目鯛・・・
 と歌い切った魅力が、オカミの認定で立証されたことになるが、
?波が囃して、わかめが踊る
 ?貝は口ぱく、くらげは笑う
 ?とんび笛吹き、かもめが騒ぐ
 と、各コーラスの結びがユーモラス。南郷達也の陽気なアレンジで、こちらの方が地元の盆踊り大会などで大モテ、今では子供たちまでシナよく踊るそうな。
 この町、もともと〝自分たちの歌〟を育てる悪ノリ癖!?があるらしく、鳥羽一郎の「愛恋岬」もその一つ。事あるごとに歌い継ぎ、芸者衆が踊ることから、9年前の平成16年に海岸の丘に歌碑を建てた。この件も梅原・岩崎両君の相談に乗り、除幕式には作詞星野哲郎、作曲船村徹、編曲南郷達也、歌鳥羽一郎と勢揃いして大騒ぎした。僕と両君のつき合いはさらにさかのぼり「町民皆ゴルファー」という企てに悪ノリしてスポニチの記事に。その後、腕自慢を揃えた全国いくつかの町を征覇、めでたく「日本一ゴルフ町宣言」をしたのが、平成9年のことだ。
 当初、まだ駆け出しの二人を、親愛の情もこめて
 「おい、木っ端役人!」
 と僕が呼んだのを本人たちも面白がり、後には「梅!」「岩!」と呼び捨てたのもシャレ。今では梅原君が観光商工課長、岩崎君が主査と、そこそこ出世コースに乗っているから「梅ちゃん」と「岩ちゃん」に格上げしたが、相変わらず兄弟みたいな二人連れで僕らの前に現れる。
 東伊豆町は稲取に熱川、大川、北川、片瀬、白田の温泉郷を抱えたいわば〝極楽6湯〟の町。6月3日と4日、稲取で「どんつく祭り」があったから、小西会の悪童(悪老かな?)たち20名余と乗り込んだ。1泊2日で稲取CCとサザンクロスで連戦・・・という年に似ぬ企て。
 「いやいや、よくお出かけ下さいました。日ごろはお世話になりっぱなしで・・・」
 と、如才ない笑顔で僕らの宴会に顔を出してくれたのは太田長八町長。一行は相当に驚いたが、打ち合わせも含めてこの町訪問10数回の僕は、ここではちょいとした有名人。顔を立てて貰えた光栄に内心鼻高々だ。
 どんつく祭りは、巨大な男根を祭った神社があり、文字通り「どん」と「つく」男女の営みを礼賛する奇祭。色艶も形も見事な男根のご神体を乗せたお神輿が3基、稲取の温泉場通りから会場を練り歩く。舞台では海童太鼓、どん太鼓がにぎやかで、独特のお面をかぶった「しょうふく面踊り」や「芸者踊り」もにぎやかだ。呼び物の花火2000発は、目と鼻の先の海岸から打ち上げるから、全部頭上で炸裂、開花して相当な迫力。僕らは善男善女がひしめき合う中で、見上げる首の痛さも忘れたが、ちょうどその時間にW杯サッカー予選のヤマ場「日本対オーストラリア」の中継が重なって気もそぞろ・・・。
 葉山の自宅に戻った僕、はさっそく吉岡治の霊前に、朝から晩まで絶品のきんきを堪能した顛末を報告した。僕の仕事部屋には、僕の母、つれ合いの父母の遺影に並んで、昨年小豆島に建てた吉岡治顕彰碑のレプリカが飾ってある。5月17日、三回目の命日を迎えた吉岡は、線香の煙の向こう側で、
 「よくやるよ、あんたも・・・」
 と、苦笑いしたに違いない。

週刊ミュージック・リポート