新歩道橋856回

2013年10月4日更新



うまい具合に雨が上がった。9月26日の昼、台風20号は大きくスライスして、東京はその余波を逃れた。
 「ほらご覧よ。一体誰が来てると思ってるのよ!」
 ゴルフ場でよくぶち上げるセリフを、僕が口走る。深川江戸資料館小劇場の、東宝現代劇75人の会公演「芝翫河岸の旦那・10号館201号室始末」(作・演出横澤祐一)は、この日が初日なのだ。 初日はだれでも興奮するし、緊張もする。まして舞台生活7年めの僕においておやだ。初日だってすんなり本番・・・とはいかない。〝場あたり〟と言って、一場面ずつのけいこが前日から続いていて、この日は午前中からやり残しの10場、11場のAとB。照明やら舞台装置、小道具の出し入れから、演出の細ごまとした手直しまであって、それが一段落した午後からは、本番通りの〝通しげいこ〟で、初日の幕が上がるのは午後6時。
 気分的にハイ状態と緊張の持続が7時間も続くと、正直相当に疲れる。それをミジンも見せまいと気合いを入れる本番前。やたら早めにやって来るのが身内の連中で、例えば小西会の幹事長のトク(徳永廣志)テイチクOBの原田や元スポニチの手下なんか。芝居見物のはずが、終演後の一パイの打ち合わせが先に立ち、次から次とそれに応じざるを得ないのは、
 「前売り4500円で、一年分の義理が果たせるんだから、安いもんだろ!」
 と、こわもての動員をかけているせいだ。
 「芝翫河岸の旦那」は、横澤お得意の深川人情劇。昭和40年ごろ、川沿いの2DKアパートに合流したナゾの男女5人と、それにまつわる人々の悲喜劇が展開する。僕は5人組の一人夏目磯八で、これが万引き常習犯で保護観察下という厄介な役どころ。刑務所暮らし1年で身につけた軽さと、失踪前のカミサンと再会しての二枚目ふうをヨロシク!というのが、演出家の意向だ。
 「大分慣れて来ましたな。当初はこちらがドキドキしたもんだが・・・」
 「よくまあ、あれだけのセリフを覚えるよ。やっぱり好きなんだねぇ」
 「髪を黒に染めて、あの役40代なの? 30才もサバ読めるのは、舞台ならではだよ」
 等々の身内からお世辞を間に受けながら29日までの4日間6公演に、僕は全力投球だ。
 とは言え実際は、相手のセリフを一つ飛ばしてフライングしたり「ええとォ・・・」と、次のセリフが出ずにヒザを叩いたり、立ち位置がズレて訂正したり・・・と、小さな失敗は数多い。事後心優しい観客に、
 「へぇ、全然気づかなかったよ」
 などと言われれば、
 「もう7年もやってる。それくらいは何とかごまかせるよ」
 と、〝慣れ〟を強調するのは、僕の負け惜しみだ。
 「大丈夫よ。私なんかもうメチャクチャ・・・」
 と、一緒の場面が多い竹内幸子や村田美佐子、梅原妙美らが慰めてくれる。同じ楽屋は最長老・内山恵司、劇団社長・丸山博一。さりげない世間話は激励の気配だし、出番や着替えを見守り助太刀してくれるのは巌弘志や柳谷慶寿、古川けい。頭髪をシュッシュッと黒く染めてくれるのが松川清、すれ違うごとの笑顔は鈴木雅、菅野園子、高橋志麻子、それに田嶋佳子、松村朋子といった面々。僕は下町人情劇をやりながら、何くれとない役者人情まで満喫する日々だ。
 ロビーに出れば弦哲也、四方章人、加藤和也らからの花が並び、芋焼酎の「西郷庵」1ダースや栄養ドリンク、国技館の焼きとり、さまざまな菓子、せんべいなど差し入れも山ほどである。70才を過ぎての僕の役者三昧に、音楽業界からの人情の証しか。二足のわらじの軸足が、芝居に移りつつある僕のもの狂いに、何と寛大な人々であろうか。
 初舞台からのご縁の横澤は、今回は作・演出のうえに役者としても共演、優しい叱咤を惜しみない。この劇団でうんと勉強して、
 「さあ、来年は2月が明治座、3月が大阪新歌舞伎座で、松平健・川中美幸公演だ!」
 未熟をタナに上げた僕の〝やる気〟は、とどまることのない秋だ。

週刊ミュージック・リポート