「アスリート」という言葉がまず浮かんだ。「歌うアスリート」か。違うな、これじゃ陸上競技の選手が歌を歌うみたいだ。10月11日、渋谷公会堂で、神野美伽30周年コンサートを見ての言葉捜しだ。びっくりするくらいの迫力の舞台なのだ。歌をどう歌うとか、心情と技をどう披瀝するかとかいうような情緒的なものではない。この夜彼女にとって、歌う楽曲は全部、神野美伽という人間そのものを、観衆に叩きつけ、強訴するための道具でしかなかった。
《月並みだけど、格闘技系か。とりあえず今のところは、そうしておこう》
僕はこの夜の彼女の、めちゃくちゃ激しい自己表出にふさわしい言葉捜しを、後回しにした。
当初、見た目はいつもの神野だった。しゃきっとした着付の着物姿。いつもそれに、硬派の心意気を感じる。〝女〟を売る気配がない。艶だの粋だのたおやかさだのという、柔らかさや優しさ、包容力につながるゆるみたるみを排して、きっぱり、しゃっきりの神野。それが、
《しかし、いつもと違うぞ、これは・・・》
第1曲の「黒田ブギー」に妙な予感があった。ものはブギだが性根の据え方はロックなみ。ステージ一ぱいに動き回る〝動〟の中の一瞬の〝静〟だって、斜に構えた横向き、四肢をいっぱいに広げた後姿、体をくの字に、宙へ飛ぶ直前の屈曲。それに大音声・・・。
ふつう歌い手は、楽曲の魅力をどう伝えるかに心を砕く。作品にこめられた心情を、己れのものに取り込んで歌うにしろ、作品をシナリオに主人公を演じるにしろ、楽曲が本位で歌手はその伝え手だ。CDに録音されたものがその基本型で、生のステージは、その人なりの解釈や腑に落ち方が加わり、作品世界がふくらむ。そんな手際をしばしば、僕はその人の芸と受け取って来た。
4曲目「海の伝説」は韓国の楽曲に吉岡治が詞をつけたもの。それをガンガン張り歌にして、精かぎり根かぎり、ここを先途・・・に歌ったのも、彼女なりの韓流と、僕は合点した。しかしどうも様子が違う。歌のおしまいのスキャットが、悲痛なまでの昂り方で、黒人霊歌になぞらえれば韓人霊歌ふう。心の張りつめ方が納まるところを知らない。
そのガンガン・イズム!?は、その後の曲にもずっと維持された。「オホーツクの舟唄」はメロディーが「知床旅情」だが、元歌のさすらい気分などそこどけ!の変わりよう。オリジナル「浮雲ふたり」はしみじみ夫婦ソングだったが、まるで違う趣きの歌に仕立て直された。「サントワマミー」も「ククルククパロマ」も、
《そこまでやるか!》
の勢いだ。
その極め付きが終盤に3曲並んだ。「酔歌~ソーラン節バージョン」「座頭市子守唄ニューバージョン」「歌謡浪曲・無法松の一生ニューバージョン」で、全部〝バージョン〟がつくあたりが曲者だった。声の限り、気力の限界まで、語り募り、歌いまくり、それこそ全身全霊を傾けての舞台。それに突き動かされながら、観客はかたずをのみ、やがて乗せられた。僕は僕で名状しがたい衝撃に身ぶるいせんばかりだ・・・。
《一体、何なんだこれは・・・》
歌を聴きに来た僕がつきつけられたのは、生身の神野美伽そのものである。「アスリート」という言葉を連想したのは、これを神野の体技と感じたせいだろう。彼女は心の中にふつふつと湧き上がる情熱を、〝歌う作業〟で解き放とうとした。楽曲の一つ一つはこの場合、激走者なら空間と時間、球技ならボール、レスリングの選手なら戦う相手か。これまでの楽曲と歌手の立場が逆転していた。エンタテイメントとか、パフォーマンスなんて言葉は軟弱なくらい、突き抜け、突き放すエネルギーの変幻。それは明らかに格闘技系の歌い方だ。
18才でデビューして30周年と言えば、48才の勘定になる。神野はその間に身につけたもの、考えたもの、喜びや悲しみ、迷いも悩みも吹っ切って生きて来たすべてを、あらいざらい舞台に乗せた。性別など関係なく、神野美伽という人間そのものの〝今〟を、全開陳して圧倒的だった。そこにはそれなりの〝覚悟〟まで見えた。
《いろいろ見て来たが、あんなの歌謡界初か!》 あれから一週間、僕はまだそんな世界にふさわしい熟語を、見つけられずにいる。