新歩道橋859回

2013年11月4日更新


 
 優勝カップとトロフィーが一つずつ、サイドボードの上に並んでいる。双方ともかわいいくらいにこぶりだが、まぎれもなくゴルフコンペのものである。トロフィーは10月18日、千葉の大栄カントリークラブでやった「小幡欣治杯・うれしい会」の獲物。もう一つは21日に千葉国際カントリークラブでやった「スポニチOB会」の成果。20日が77才の誕生日だったから、それをはさんでの快挙!? 二つに、僕は大いに気をよくしている。
 ゴルフの話をこの欄によく書くが、スコアを省いているのはなぜか? と、連載がお隣りの稲垣博司氏に常々指摘されて来た。誠に恥ずかしい点数なので・・・と、僕はその都度頭をかいたが、しかし、今回ばかりは恥をさらすことにする。18日の分はOUT50、IN46、ハンデ9でネットが87。亡くなった劇作家小幡の名が冠だからお判りだろうが、俳優、劇場支配人、演出家、評論家が参加していて3組。後期高齢者が中心というお達者コンペだ。
 もう一つはスポニチのOBばかりの4組。当然全員60才以上で、僕が〝さん付け〟する先輩は一人だけ。あとは全員呼び捨ての仲だから気のおけないコンペである。こちらは優勝者として名を呼ばれた時、当の本人が、
 「嘘だろ!」
 と絶句。里村龍一が作詩家協会の会長になった時と同じ状況になった。何しろOUT52、IN53とほぼいつも通りの打数なのに、ペリアのハンデが33・6もついて、ネットが71・4と来た。これはもう、運とかツキとか以外の何ものでもない。
 「でもね、その年になっても元気で丸一日、ゴルフ場を駆け回れればこそのことでしょう・・・」
 と、かつての部下がしみじみとした顔になる。お定まり19番ホールの居酒屋でのこと。
 《優勝した俺が、なんで慰められなきゃならんのだ!》
 僕は内心ムッとするが、表情から笑みは隠さない。それが年寄りの分別というものだろう!
 OB会のカップには、歴代優勝者の名を書いた短冊がぶら下がっている。今回が15回目ときりがいいが、それをたぐってみたら、9回目にも僕の名があった。6年前のことで確かあの時は、ベスグロ優勝の胸を張った覚えがある。ま、レベル自体がその程度のコンペなのだが、それにしてもこの6年の、衰え方たるやはなはだしい。口惜しいのはショート以外の全ホール、スプーンを持ってまっ先に、2打目を打つのが必ず僕・・・になったこと。それも気が焦るせいか、トップやダフりが年々増えているのだ。
 中2日でV2の珍事に、音を上げたのは体である。骨々、節々、筋々が硬直したうえでバラバラになり、朝、ベットから起きるのにもつかまる物が欲しい体たらく。よろめきながらいつもの逗子整体院に助けを求めるのだが、担当の髙橋充君いわく、
 「やっぱり運動をした時の方が、疲れてはいても体はまともです。夜な夜なの酒盛り続きよりはネ」
 妙なところで僕の、やくざなプライベートにまで突っ込んで来るのがシャクだ。
 葉山に移り住んで6年。前夜は必ずゴルフ場の近くまで行って泊まる。
 「そうまでするか!」
 と家人は呆れているが、当日だと早朝の4時起きになる。子供のころ茨城で、百姓仕事にかり出されたころを思い出すから、ぞっとしない。結果、あそび心を維持したい一心の前泊だが、連れがいると遊び過ぎて当日が二日酔いになるし、単独だと寝つきが悪く、導眠剤など用いようものなら、やっぱり当日ふらつく。世の中、なかなかうまく行かないものだ。
 それやこれやの誕生日前後、わが家のリビングには過ぎたるものが、外にもまだある。バーニングプロの周防郁雄社長、アルデルジローの我妻忠義社長、MC音楽センター岡真沙子社長からの祝い花が豪華けんらん。それに亡くなった作詞家吉岡治の孫娘あまな君手造りの3D的工作物。いい型でドライバーショットを打つ僕の体に、ちゃんと写真から切り抜いた顔が乗っており、手前の芝生には真珠みたいな白い球まである。そんな好意に囲まれて、僕は最高の喜寿のひとときを過ごす。はやり歌雑文屋稼業50年だがまだまだ元気。その間に袖すり合ったおびただしい皆々さまにも、改めてあつく御礼を申し上げたい。

週刊ミュージック・リポート