新歩道橋860回

2013年11月15日更新


 
 神野美伽はなかなかの賢夫人である。10月29日夜、恵比寿のライブハウスでやった「荒木とよひさ先生の古稀を祝う会」でも、ダンナをたてる態度物腰がきっちりとした接客ぶり。それを会のしょっぱなのあいさつで、いきなり客席から呼び出した。ラフな進行表に書かれた僕の役割は、ここで神野との「爆笑トーク」とある。百戦錬磨!? の彼女相手に、
 《俺にツッコミをやれってことか?》
 7年ほど、駆け出しの役者もどきをやらせて貰ってはいるが、僕にはそんな器量はない。だから同じ月の11日、渋谷公会堂で見た「神野美伽30周年コンサート」をネタに振った。あれは近来稀ないいステージだった。
 受け答えをしながら、神野の視線が泳ぐ。口調も歯切れが悪い。それはそうだろう、明らかに場違い。何でここでそんな話を・・・という戸惑いが、表情に出る。
 《ダメだ、これは・・・》
 僕は演出者の意図が、彼女に伝えられていないことに気づく。「爆笑トーク」で会場の雰囲気を柔らげ、主人公の荒木を呼び込む・・・という彼らの狙いは、はなからモロくも崩れ去った。結果、多少の笑いはとったものの、得体の知れぬ幕明けのまま、荒木を呼び出す。一応それなりのあいさつはして貰ったが、その先どう着地するかが、見えないままのやりとりをいくつか。荒木の視線も泳ぐまま、3ショットの立ち往生である。仕方がないから僕は、
 「礼!」
 と声を張り上げ、3人揃っての低頭でその場をチョンにした。
 歌謡界のいいならわしに「表の小西、裏の境」というのがある。境は元コロムビアの制作のボスで、ミュージックグリッドの境弘邦社長。彼と二人で長いこと、この世界の冠婚葬祭の宴を任されて来た。仕込みから段取りまで、舞台裏を取り仕切るのが境で、乾杯や中締めなどの音頭をとるのが僕と、役割り分担が裏と表なのだ。このところこの業界は、底冷えのせいかご他聞にもれぬ高齢化の側面か、多いのは〝葬〟がらみの会合ばかりで〝祭〟にあたる今回は久しぶり。しかも僕らには荒木と、長い友だちづきあいがあり、そのうえ二人とも古稀の荒木より7才年上である。この際この詩人を肴にして・・・と、裏表ともにはしゃぎ気味だったのは確か──。
 それやこれやの行き違いとは関係なく、会はなごやかに進行した。自称〝はなし飼い亭主〟の荒木は、同級生や主治医、後援紳士たちとも交歓して上機嫌。神野は時おり席を替えながら、ソツのないあいさつ回りで、会を楽しんでいる。最近自作自演のアルバムを作った荒木は、その中の何曲かを歌った。その代表曲が「東京タワーが泣いている」で・・・。
 六本木、飯倉片町、麻布あたりを歌い込んだ青春回想ソングである。
 「東京タワーがあのころの、俺たちのシンボルだった。スカイツリーはどうも、なじめなくてねぇ」
 などというコメントつき、会が会だし客が客だから、これが大いにうけた。思い当たる節が会場で交錯して、共感や共鳴の色が濃い。
 《そうか、荒木はこのアルバムで、彼の近ごろ徒然草をやってのけたのか》
 と僕は合点する。そう言えば・・・と思い出すのは、神野に彼が書いた新曲「もう一度恋をしながら」で、歌い出しから各コーラス、
 ?(庵)もしも10歳くらい 若くなれたら・・・
 と来る。「人は思い出残す 時の旅人ね」「人生は急がずに 人生はゆっくりと」と、やはり幸せ回想ソングだ。「NHKラジオ深夜便のうた」として作られたから、聴き手はおおむね高齢者、それなりの共感は得るだろう。
 《しかしね。こういう後ろ向き志向は、古稀前後だけにとどめて欲しいな》
 僕はあえてそんなふうに考える。流行歌はいつの時代も、作る側聞く側の区別なしに青春の産物。歌の芯を作るのは少年のときめきだろう。年老いても作詞家はプロなら、その分別や感慨をかかえながらきちんと青春時代に立ち戻り、そこから前を向いて発信するのが商いだろ。前向きにな、頼むよ、とよさん!
 僕は今ごろになって、彼の会のあいさつで言い損なった思いをぶつぶつ言っている。

週刊ミュージック・リポート