新歩道橋863回

2013年12月13日更新


 
 「相撲では大関どまりだったけど...」
 が歌手増位山太志郎の〝決意表明〟の前置き。
 《何と大胆な。大関だって大変な辛酸をなめたあげくに獲得したはずの栄誉と地位。そんなに軽々しく言ってもいいのかい?》
 と、僕はお節介な気分になる。スポニチで、一時は運動部の部長もやったから、その世界も少々かじってはいてのこと。案の定彼は、そのあいさつを、
 「歌謡界では横綱になるつもり!」
 と結んだ。早くも芸能人ふうな軽さだ。
 12月4日午後、明治記念館で開かれた彼の、再デビューと新曲発表をかねた出陣式パーティー。主催がテイチクと市村義文社長のゴールデンミュージック・プロで、双方懇意にして貰っているから、いそいそと出掛けた。会場は百人余の客で満員。ところが知った顔を捜すのが大変...という浦島太郎状態で、隅っこに作詞家のたかたかしと編曲の前田俊明を見つけ、ヤレヤレ...になる。
 「それだけさ、俺たちも年だってことさ」
 たかがボソッと言うのは、あたりを見回して似たような感想を持ってのことか。
 増位山の新曲は「夕子のお店」でたかの詞、弦哲也の曲、前田の編曲。ヒットした「そんな夕子にほれました」「そんな女のひとりごと」の続編で、あれが1978年ごろと言うから、かれこれ35年も前になる。その後彼は相撲界の幹部になった手前、歌手活動を自粛、このたびめでたく!? 定年を迎えて、再デビューのはこび...。
 ヒロイン夕子がお店を出したのは門前仲町で「もんなか」とルビが振ってある。あの盛り場がついにネタになったか...と、個人的な感慨を持つのは、かつての勤め先が越中島にあって、僕らにはそこが縄張り。あの飲み屋街は〝門前スポニチ〟なのだ。近所に住む作曲家・四方章人らと語らい、親睦グループ仲町会を作って、もう20年になる。このコラムにもしばしば登場するお友達ごっこで、ゴルフと酒、談論風発の盛り上がりが常。弦も前田もその有力メンバーだから、
 「俊ちゃん、これは俺たちのテーマソングか?」 と冗談を言ったら、前田が眼をパチパチさせた。
 「あのころのホステス夕子は、一体幾つになったんだろ?」
 とたかに水を向けたら、
 「想定では才かな」
 と即座の答え。詞を書くにはやっぱり、そんなことも計算するんだ...と合点したが、男の方の年齢はあえて聞かなかった。
 〽ダークの背広が大人に見えました。父親早くに失くしたわたしには...
 というフレーズが、二番の歌詞にある。当時の夕子の年と考え合せれば、相当な年寄りになっちまって、それでは艶っぽさも何もなかろう!
 新曲のキャッチフレーズは「帰って来た昭和のメロディ」とある。復帰した増位山のムード派ぶりと、楽曲そのものも昭和テイストが濃いせい。いろんな歌手が挑戦しながら、ヒットに結びつけ切れない路線だ。
 「いやになるほど、モテた」
 と述懐したと言う増位山の、おとなの遊び心が生きてこそ!と、制作陣も本人も〝その気〟なのが透けて見える惹句。
 「確かにあのころは、しっとりした風情があった。近ごろは乾燥しきっていて、どうも...」
 公式の席のせいだろう。本人はその辺を、世相への言及でかわす技巧派ぶりも示した。
 新曲の三番、結びのフレーズは、
 〽昭和の時代は、遠くになったけど...
  とある。作詞家の笑顔を見やりながら、
 《これは、たかたかし本人の感慨だな...》
 と僕は推しはかる。一見何の変哲もない文句だが、置き場所によっては、歌に奥行きが生まれる。歌に歌書きの心情が織り込まれた効果だろう。たかと僕はたまに、余人をまじえぬ歌くらべで蛮声を張りあげることがある。
 「年末に、どうよ!」
 としめし合わせたから、銀座の橋本の店で、いずれ〝ふたり紅白歌合戦〟が実現しそうだ。
 増位山65才、にぎやかな第二の人生のスタートである。
 《いいね、いいね、高齢者の星だ。俺だって...》 と僕は、70才で始めた舞台役者7年めの我が身に我田引水する。学ぶこと沢山の日々と緊張感が得難くなって、シアワセなことですヨ。

週刊ミュージック・リポート