新歩道橋865回

2014年1月24日更新


 
 元禄十四年、西暦に直せば1701年だが、その年の三月二十五日、播州・赤穂城下は行き惑う人々の群れでごった返していた。藩主浅野内匠頭が切腹、家臣は徹底抗戦と謹慎城明け渡しの二論でいきり立つ。お家断絶、戦がはじまる...と、領民は避難民化した─。
 その中を劇場花道から、足早やに登場するのが幹部の一人大野九郎兵衛、
 「命あっての物だねじゃ」
 と、敵前逃亡!? を企てるのが、はばかりながら僕の役柄だ。二月の明治座、松平健・川中美幸合同公演のうち、川中バージョンの芝居「赤穂の寒桜~大石りくの半生」(脚本・阿部照義、演出・水谷幹夫)のけいこが始まった。一月十三日の顔寄せ、読み合わせから、これが僕の新年の役者の初仕事である。
 昨年の一、二月に名古屋御園座で上演、それが好評で再演の運びになった。松平の大石内蔵助の重厚、川中の妻りくの一途な純愛ががっぷり四つ。しかし共演者はがらりと変わって、穂積隆信、青山良彦、笠原章、丹羽貞仁、中村虎之助らが加わっている。
 「役者が変われば、芝居も相当に変わるよ」
 と、関係者に耳うちされているから、当方は至極神妙な顔で出かけた。その一方、
 「やあしばらく。今回もよろしくね」
 の声がかかるのは、土田早苗、園田裕久、真砂皓太、安藤一人、鴈龍、松岡由美と西山清孝、田中克幸、小西剛ら殺陣の腕利き。こちらは名古屋の二カ月、栄や錦などの繁華街にも出没、親交を深めた温かさがある。
 芝居の松平バージョンは「暴れん坊将軍・夢永遠江戸恵方松」(脚本・斉藤雅文、演出・水谷幹夫)で、こちらはおなじみの痛快時代劇。旗本徳田新之助実は徳川吉宗の松平と、その幼なじみの旅芸人川中が、幕開き早々によろよろはらはらの老爺と老婆で再会、客席を沸かせるお楽しみがある。出演者は全員、川中版、松平版双方に出番があって、こちらの僕の役は小石川養生所の医師新出玄条だ。
 僕はご存知のとおり、役者と流行歌評判屋の二足のわらじをはいている。その評判屋の初仕事は、一月六日、USEN昭和4チャンネル月曜日用の録音で、ゲストが作詞家の池田充男。相棒のチェウニのとんちんかん話法とにぎやかに、池田が〝北の詩人〟になった顚末をたっぷり聞いた。
 何しろ20数曲、彼のヒット曲をかけながら、5時間近くのおしゃべり番組である。池田が若いころ初めて北海道を旅をし、小樽で見染めたのが今の奥さん。
 「まだしゃべるの? そんなことまで聞くの?」 と、池田がテレながらそれでも笑顔で語った〝駆け落ち結婚〟ぶりが壮絶で、池田艶歌の芯の部分に触れた心地がする。
 池田が上きげんな理由のもう一つは、旧作「孫が来る!」の競作で、作曲した岡千秋に船橋浩二、中村光春、仲町浩二と、熟年シンガーがさみだれ式にリリースした。五木ひろしのアルバムで10年ほど前に世に出した池田の実話ソング。歌の主人公の女児二人の孫たちは、今では立派に成長したが、池田はその件になると相好が崩れっぱなしになる。
 「平成初の大競作だ!」
 「カラオケおじさんたちの反撃だ!」
 取りまとめ役の僕は、ここ半年、そんなことを口走った。なぜか近ごろ競作騒ぎはパッタリだし、いつの時代も流行歌は若者主導だが、おじさんたちの反撃があってもよかろう。歌い手は無名でもみなカラオケ巧者、熟年の滋味で勝負だ...というのがその言い分だ。
 それやこれやで浮かれていたのか、地面が沈むくらいショックの大ミスをやった。芝居のけいこに穴を開けた一件で、スケジュールのメモの書き違い。
 「どうしたの? 今、あんたのとこやってるよ」 自宅で、アルデルジロー我妻忠義社長の電話を受けて、文字通り血の気を失い、足はすくみ、頭の中はまっ白の立ち往生をした。
 もちろん翌日のけいこ場では平身低頭、ひたすら謹慎の時を過ごしたが、関係者の寛大な笑顔こそ実はことさらに厳しいものと知る。昨年喜寿のいい年をしての大失態、舞台8年目の気のゆるみも猛省して、この一年の大きな戒めに抱え込んだ。

週刊ミュージック・リポート