新歩道橋866回

2014年2月4日更新



 「号外! 号外! 号外!」
 大声をあげて僕が、舞台上手そでから飛び出していく。集まって来るおじさんやおばさん、青年に娘たち。舞台下手からはもう一人の号外配り・田井克幸が登場、群衆は号外を争って手にし、あれこれ庶民の屈託をぶち上げる。何とも賑やかなシーンだ。
 二月の明治座、松平健・川中美幸合同公演は、座長二人が主演する芝居に加えて、それぞれのショーも展開する。僕が出番を貰ったのは、そのうちの松平バージョン「唄う絵草紙」で、彼が新曲の「マツケンの大繁盛」を歌う導入部。これが何とも不思議な面白ソングで、
 〽大福様が通る、大福様が通る…
 と歌いながら、松平が町々を七福神と練り歩き、商売繁盛は私に任せなさい!と、群衆の万歳踊りを盛り上げる内容。
 「よくやるよねえ、座長も…」
 と、舞台から引っ込んだ僕らが、まだ笑っている一シーンだ。
 アベノミクスとやらの、強引な景気浮揚策で、やっと給料が上がりそう…というのを、単純に鵜呑みにするか、先行き本当に大丈夫かね? と懐疑的になるか、それだけでも庶民感情は複雑だ。加えて3・11災害、原発事故の復旧復活はメドさえ立たぬ遅れ方だし、超高齢化と少子化の福祉と教育問題、代替エネルギーをどうする?論の一方で、中・韓両国とは外交的行き詰まり、秘密保護法と俄かな右傾化、沖縄は激真っ二つ…其々、イライラや不安のネタは数え切れない。
 それやこれやを考え合せて聞く松平の「大繁盛」は、昔々の「ええじゃないか」から昔の「有難や節」を連想させる。万歳!を、連呼、踊り狂う庶民は、なかば自暴自棄のテイではないのか?
 《えらいもんだ…》
 流行歌の保守本道を行くスター歌手たちなら、揃って二の足を踏むこういう企画を、馬鹿馬鹿しくも堂々と、歌ってしまうあたりが松平の野放図な魅力だろうか?
 「号外屋なら統領、お手のものでしょうが…」 役者仲間に冷やかされるのは、僕の前職が新聞社勤めだったせい。
 「そうそう、号外って言えばね…」
 と、すぐその気になってしゃべる号外体験の極め付けは、スポーツニッポン平成元年六月二十四日付の話だ。
 その夜午前零時二十八分、美空ひばりが間質性肺炎による呼吸不全のため、東京・順天堂大学病院で亡くなった。時間が時間である。翌日の朝刊の印刷に間に合う部数は知れたもので、当然号外発行! という段取りになる。明け方の五時過ぎ、
 「印刷開始! どこで撒きましょう?」
 という会社からの連絡を、僕は当のひばり家で受けた。十五年ほど彼女との親交があって駆けつけたうえ、スポニチ編集の責任者だったせいで、僕は、
 「ひばり家の前へ持って来い。日本中のマスコミが集まってるんだ!」
 と即座に指示した。玄関前には急を聞いた報道関係者が黒山である。そこで撒いた号外は、NHKの朝七時のニュースをはじめ、多くのテレビ番組で、ひばり死去のニュースと一緒にデカデカと取り上げられた─。
 号外は昔から、新聞各社が先を争って出す即報版。どの社が一番先に町に出したかが勝負だから、文字通り分秒の競争だった。
 《しかし…》
 と、僕は考え直した。都心で二、三万部配ったところで、たかだかそれと同じ人数の読者が手にするに過ぎない。ところがそれが電波に乗ったら、スポニチが号外出した! という事実は、一挙に何十万人かに知れ渡る。そのPR効果を手にするために必要なのは、印刷の先を争うことではなく、どこに重点的に配るかではないのか。 
 号外は急ごしらえだから、多くがモノクロ紙面である。それを僕らは、時間をかけてもカラー版を用意した。号外用に特別大きなスポニチの題字も作った。テレビで写された時の派手さを狙い、それがロングショットでもスポニチと判るための細工だった。
 「外道かもしれないけど、これが今どきの号外論さね」
 明治座のけいこ場森下スタジオで、僕はしばし、はしたなくも懐旧談で悦に入ったものだ。

週刊ミュージック・リポート