新歩道橋871回

2014年4月26日更新



 《たびたびの嵐、地震、大水と、この国の民百姓は疲弊しきっております》
 《昨年の大雨、浅間山の噴火の始末もいまだしと申すのに!》
 時代劇のセリフだが、これを3月11日の午後に聞くと、大津波、原発事故の東北の惨状、遅々として進まぬ復旧、復興などに思いがつながる。あれから3年、この日は全国の人々が、追悼と共助、共生への心をひとつにしていた。
 3月の大阪新歌舞伎座「松平健・川中美幸特別公演」のうち、松平が主演する「暴れん坊将軍・夢永遠江戸恵方松」に参加していての体験。脚本の齋藤雅文、演出の水谷幹夫は、
 「徹底して痛快時代劇。武士は武士らしく、町人は町人らしく、旅芸人は旅芸人らしく!」
 と、稽古から作品の狙いを絞り込んではいた。松平が八代将軍徳川吉宗、時に旗本徳田新之助として活躍するおなじみのストーリー。テレビの長寿人気シリーズの舞台化で、今回吉宗が成敗するのは、積年の遺恨を抱える尾張藩・徳川通温(真砂皓太)を中心にしたクーデター計画だ。
 共演するもう一人の座長川中美幸は、吉宗の幼なじみで、旅芸人の一座を率いるお駒。相思相愛の仲を騒動で裂かれ、一時は敵味方の間柄になる。クーデター派に加わるのは、愛する紀伊頼識を弟の吉宗に毒殺されたと信じて疑わぬ菊の方(土田早苗)の私怨。一派を陰であやつる老中久世和泉守には青山良彦、吉宗の腹心・江戸町奉行大岡忠相に笠原章、側近田野倉孫兵衛に穂積隆信、火消しの頭・め組の辰五郎には園田裕久ら、ベテランが顔を揃える。
 呼び物は松平が長めの太刀の峰討ちで、反吉宗派の面々や忍者、地回りの悪などを薙ぎ倒す殺陣。その迫力とスピードは、熟練の斬られ役たちも圧倒する。川中が「日本一!」と嘆声をもらすそんな魅力を、演出するのは名うての殺陣師谷明憲。
 ついでに書けば僕の役は、吉宗の主唱で作られた薬草の園小石川養生所の医師新出玄条だが、残念ながら立ち回りはなし。どうやら年齢制限で除外されたらしい。
 いずれにしろこの舞台、威風堂々・松平の存在感を中心に、血湧き肉躍るタイプだが、よく聞けば意味深なセリフが多く出て来る。
 例えば三代の将軍に仕えた老中・久世和泉守の「さまざまなご改革、そのご性急さもあいまって、人心はとみに上様より離れはじめておるやに...」「幕閣も諸侯もおのれの保身しか頭にない。このような穢土を誰が望んだというのだ...」
 「どのような清水も、溜れば腐る。一度焼き払わねば、所詮何も変わらぬのだ...」
 という絶望と背信。それを叱責する吉宗の
 「なにゆえ悪あがきをせぬ。我らは死ぬまで、いや死んでも悪あがきをして、この世をよりよく変えていかねばならぬのだ。百年先、二百年先に生きる、子どもたちのことを考えたことがあるのか!」
 このあたりは、わたり合う松平健と青山良彦の熱気が、もう一つの見せ場を作っている。
 現実に戻れば安倍内閣の景気浮揚策で、大手企業の春闘が、久しぶりに大幅ベースアップになった。しかし、中小企業がそれに足並みを揃えられるはずもなく、世界も庶民もアベノミクスとやらにはまだ半信半疑。為政者たちは鐘や太鼓の大騒ぎだが、手放しで浮かれた気分にはなれない。内憂外患、右傾化と不安のタネは山盛りで、この芝居を初演した昨年一、二月に比べれば、うわべが多少変わってきた程度だ。
 出演者の一人の僕があげつらうのも恐縮だが、商業演劇、娯楽性最優先のこの種の作品からも、こういう時代へのかかわり合いは嗅ぎ取ることが出来る。物創る人の、一寸の虫の五分の魂、反骨の表れだろうか。松平健のエンタテインメント志向は理屈抜きで限りなくパワフルだが、お楽しみの奥はこれでなかなかに深いのだ。
 今公演二代目が頑張っているのも楽しいことの一つ。一人は大川橋蔵の次男丹羽貞仁、もう一人は勝新太郎・中村玉緒の長男鴈龍である。

週刊ミュージック・リポート